
世界中に広がる抗議運動
ジョージ・フロイドさんが警察官によって殺害された事件が起こり、アメリカでは「#BlackLivesMatter」の運動や抗議のデモが各地で連日繰り広げられている。 【写真】アフリカの国民的アイドルと結婚した日本人の私がいま考えること 様々なメディアが連日伝えているように、警察官によるアフリカ系市民への暴力と殺人は今に始まったことではなかった。 1965年、ロサンゼルスのワッツ地区で黒人が白人警官によって逮捕されるが、近隣の黒人住民が多く集まったことで、その時の白人警察の残忍な行為が世間に知れ渡った。 半世紀以上経った今でも同じ現実が続いている。ジョージ・フロイド事件は5月25日だったが、その2日後にはフロリダ州タラハシーで、トランスジェンダーのトニー・マクデイドさんが警官に射殺されている。 ジョージ・フロイド事件をきっかけとした抗議運動はアメリカ国内を超え、イギリス、韓国、フランス、ニュージーランドなど各地へ広がった。 6月6~7日には、東京や大阪でも平和行進が行われ、世間の関心が非常に高まっている。6月12日にも沖縄市の胡屋十字路で300人が集まり、「『命は平等だ』『差別がなくなるよう知恵を広げたい』など人種差別解消への思いを訴えた」という(参照:琉球新報 2020年6月13日)。 6月14日にも渋谷で数千人規模の行進が行われた(参照:BuzzFeed Japan 2020年6月14日)。
「日本には人種差別はない?」
一方、ジョージ・フロイド事件や「#BlackLivesMatter」に関するSNSやメディア上でのコメントをみていると、「日本には人種差別はない」「日本の人種差別は見えづらい」といった言葉を目にする。 その言葉の背景には、「アメリカには人種差別がある。その人種差別は制度的であるため明確に捉えることができる」という認識があり、日本と比較しているようにみえる。 いや、アメリカの人種差別が「制度的」であるからといって、必ずしもそれが「見えやすい」というわけではない。では、なぜ私たちはそれが「見える」ようになったのか。 それは、制度の中に浸透した人種差別を捉え、指摘し、調査し、時には撮影し、声を上げ続けてきた多くの人々がいたからである。その積み重ねの上で「見ることができる」ようになったのだ。今、私たちが写真や映像を通して見ることができる現実はその一部分で、記録されなかった人種差別の現実は数え切れないだろう。 性差別でも、人種差別でも、階級差別でも、社会システムの内部や私たち個人の認識に浸透する差別は、現実には捉えにくいもので、包括的に把握することは難しい。それが一つの結実となって現実にあらわれたときに初めて、運が良ければ、気づかれるのである。 もしそうでなければ、問題は「なかったこと」にされるのだ。 たとえ発見されていても、「なかったこと」にされる場合すらある……。 日本でも近年、医科大学での入試における深刻な女性差別が可視化された。 それが何年も続いてきたのは、悪習として大学のシステムに浸透し、捉えにくいもので、当該大学の関係者もそれが「差別だ」とすら考えてこなかったことが要因の一つだろう(参考:アエラ 2020年1月25日)。その事件をきっかけに、医科大学の関係者の発想の中にあるバイアス(偏った認識)を発見することができ、それが入試システムに浸透し、結果として深刻な女性差別を生み出してきた現実を捉えることができたのである。 普段気づかれにくい偏った認識は、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)と呼ばれる。アンコンシャス ・バイアスを持った人は、無意識的であるが故に、「これは差別ではない」と言うし、実際にそういった認識を持っているのだろう。しかしこの医科大学の事件の場合、結果として医師を目指す多くの女性たちを大学から排除し続けてきたのである。「差別する意図がなければ問題ない」というわけではない。現実をまずは受け止め、改善が必要である。 現在、米国連邦最高裁判所で判事を務めるルース・ギンズバーグは、長年、アメリカ社会における女性差別と戦うために法廷に立ってきた。ギンズバーグ判事が法律家として初めて連邦最高裁で戦った際、全員男性であった当時の判事を前にして、これまで女性が差別や抑圧を経験してきた現実を伝え、平等を訴えた。彼女はドキュメンタリー映画『RBG 最強の85才』において、そのときの経験を語っている。 ---------- 「私の話を聞く男性たちは性差別が存在することすら認識していない。現実を伝えることが私の仕事でした」 ---------- 差別は、「多くの人に差別だと認識されている」から改善されてきたのではない。ギンズバーグ判事は「存在することすら認識」されていない「現実」を伝えることから、差別の是正を目指してきた。 人種差別も決して「見えやすい」ものではない。それは例えば、アメリカのジム・クロウ法や、南アフリカのアパルトヘイトなどのような人種差別的な制度自体が無くなっても、人種差別そのものが消えたわけではないことからもわかるだろう。 エイヴァ・デュヴァネイ監督によるNetflixのドキュメンタリー『13th―憲法修正第13条―』 (現在はYouTubeでも英語版を視聴可能だ。設定で日本語字幕も選択できる)をみると、アメリカでは奴隷制度そのものが解体したにもかかわらず、人種差別のシステムは姿を変え、多くのアフリカ系アメリカ人たちを収監する現在の獄産複合体(刑務所産業複合体)へとつながっていくことが説得的に示されている。 では、このようなドキュメンタリー映画が作られたのは、アメリカ社会の中で制度的な人種差別の存在が「多くの人によく知られていたから」なのだろうか。そうではない。 このドキュメンタリーについて、オプラ・ウィンフリーが監督にインタビューをした『デュヴァネイ監督とオプラが語る「13th―憲法修正第13条―」』を見ると、オプラは「この作品で素晴らしいのは、多くの人が知らなかった事実を描いている点」だと説明している。一つひとつの差別的な事象は知られていても、システムに浸透した人種差別の歴史的なつながりを捉えることは容易ではない。 人種差別は、それとはわからない形で、あらゆる法や制度や社会構造の内部に浸透して、姿形を変えながら生き長らえ、生活や人生そのものに具体的な影響をもたらすのである。それが今問題とされている制度的人種差別(システミック・レイシズム)だ。 アメリカ研究の専門家である南川文里・立命館大学教授は、以下のように説明している(南川2016)。 ---------- 「制度的人種差別主義とは、直接的で敵対的な暴力や言動だけでなく、人種差別の意図がなくても間接的に特定の人種集団の人々が不利になる社会の仕組みを指す」 ---------- 様々なシステムの内部に浸透した人種差別をとらえるためには、人種差別を明文化した法律や制度そのものをとらえるだけではなく、法律や制度にいかに見えづらい形で人種差別が浸透しているのかを浮かび上がらせることが重要であると言える。 アメリカで人種差別の歴史的変遷過程を分析する学者のオミとワイナントは、社会構造そのものに人種差別的な認識が浸透しているため、誰もそこから自由になることはできないと指摘している(Omi & Winant 2015)。 すなわち、この社会で暮らす以上、否応なしに人種的な偏見の影響にさらされ続けているということだ。人種的な偏見について学校での明らかな学習機会がなくても、人種的な偏見を知ってしまっているのは、そのせいだ。 それゆえ、人種差別の現実に気づくためには、自分自身の内側、そして社会の構造そのものの中にある人種的な偏見と、それによる種々の影響を捉えていくことが肝要となる。
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June 20, 2020 at 09:01AM
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なぜ日本の「人種差別」は“ないこと”にされるのか、その社会構造(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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