小麦の焼けた香ばしい匂いが、こぢんまりとした店内にふんわりと漂う。大阪府豊中市の阪急豊中駅前にあるピザ店「ラ・ピッツェリア・ダ・ニーノ」。30代半ばでトラック運転手から転身し、昨年、本場イタリアで行われたピザの世界大会で優勝した。40歳で世界一の栄冠をつかんだ苦労人は「地元に本場仕込みの味を届けたい」とピザを焼き続ける。
美延智彦さん(41)。イタリア語で「ミノ」は発音しにくく、師匠がつけてくれたあだ名「ニーノ」が店名の由来だ。
大学卒業後、ビーチバレーの選手として遠征をしながらバーに勤め、その後独立したが、経営に行き詰まり、借金が800万円にまで膨らんだ。返済のため30歳からトラックの運転手になり、昼夜問わず働いた。倹約生活を続けるなかで趣味として始めたのが、ピザ作りだった。「生地をこねていると自然と夢中になれた」という。
借金は5年間の運転手生活で完済し貯金もできた。飲食店の経営に再挑戦することも考えたが、迷った末に「大好きなピザを極めたい」と平成26年3月、イタリア語もほとんど話せないまま、35歳にして単身、本場のナポリへ渡った。
到着後すぐに飛び込んだ目当ての店で、言われるままに腕試しとしてピザを焼いた。だが、釜で焼くのは初めて。出来は当然、プロのレベルに程遠い失敗作だった。
順風とはいえないイタリアでのスタートだったが、くじけなかったのはその翌日、人気店でテークアウトしたピザを味わったから。あまりのおいしさにこれまでの苦労が吹き飛び、うれし涙と笑いがこみあげてきた。「こんな最高のピザを作る」と決意は固まった。
それから1カ月近くで30軒に及ぶ店を回り、修業を頼み込んだが、全て断られた。そして、たどり着いたのが今も師匠と仰ぐガエターノ・ファチオさんの店。「ピザの神様」と呼ばれ、日本人の弟子も多い名人に頼み込み、店の手伝いから始めることになった。
修業が進み、現地の大会で入賞したのを機に、日本のイタリア料理店に誘われ帰国。東京や福岡などで腕を磨き、30年2月に地元豊中で自分の店を構えた。
昨年10月、ローマで開かれたピザの世界大会「ピッツァ・ワールドカップ」で4部門に出場。「マリナーラ」部門でチャンピオンに輝いた。マリナーラはシンプルなピザのため、生地が重要とされる。本番では、発酵時間を変えるなど6種類を用意した生地のうち最高の状態のものを使い、「生地が最高においしい」と現地の舌をうならせた。
その“世界一のマリナーラ”が味わえる「ラ・ピッツェリア・ダ・ニーノ」。「地元で愛される食堂にしたい。おいしいピザで地元の人を笑顔にできれば」との思いで毎日、生地や窯に向き合う。大切にしたいのは地域の笑顔だ。
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美延さんは昭和53年、豊中市生まれ。イタリアでの修業から平成26年に帰国し、30年2月に「ラ・ピッツェリア・ダ・ニーノ」をオープンした。営業時間は午前11時半~午後2時と午後5時半~9時半(緊急事態宣言中は午後8時まで)で、火、水曜は夜の時間帯のみ開く。価格を抑えるため、飲み物は原則セルフサービス。新型コロナウイルス感染拡大の影響で今月から当面、店内飲食を自粛して、テークアウトのみに切り替えた。(吉国在)
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April 21, 2020 at 06:15PM
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世界一のピザ職人、美延さん「本場の味で地域に笑顔を」 - 産経ニュース
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