2023年8月31日
理化学研究所
金属技研株式会社
-アルファ線を利用したがん治療薬の開発を加速-
理化学研究所(理研)仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室の羽場 宏光 室長、金属技研株式会社 技術開発本部 エンジニアリングセンターの栗原 嵩司氏、中村 伸悟氏、同開発センターの安良田 寛氏(いずれも理研 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)らの共同研究チームは、人工元素アスタチン(At)[1]を大量に製造する技術の開発に成功しました。
本研究成果は、Atが放出するアルファ(α)線[2]を用いたがん治療薬の開発を加速すると期待されます。
放射性同位体[3](ラジオアイソトープ、RI)を含んだ薬剤をがん細胞に集積させ、RIから放出されるα線などの放射線を用いて細胞を死滅させる治療法を核医学治療法[4]と呼びます。近年、α線を放出するAtのRI(211At)を利用した核医学治療が注目されています。211Atは、サイクロトロン[5]などの加速器を用いて発生させた高エネルギーのヘリウム(He)イオンをビスマス(Bi)標的に照射して製造されます。211Atの需要が急速に高まる中、製造効率が高い、より大強度のビームを用いた211Atの大量製造・供給が望まれていました。
今回、共同研究チームは、高速回転するBi標的と211Atの化学分離器を併せ持つ画期的な211At製造装置の開発に成功しました。本装置を用いれば、大強度のビーム照射によってたとえBi標的が融けても遠心力で標的の形状を維持でき、大量の211Atを製造し続けられます。コストのかかる垂直照射コースや地下実験室を建設する必要がなく、加速器施設内の一般的な水平照射のビームを用いて211Atを製造できます。さらに本装置では、高周波誘導加熱装置[6]を用いて、製造された211Atを気化させることでBi標的から化学分離し、化学実験室まで搬送して回収することができます。
本研究成果は、第20回日本加速器学会年会(千葉県船橋市)において発表(8月31日16:20~16:40)されました。
アスタチン製造装置の写真
背景
放射性同位体(ラジオアイソトープ、RI)を含んだ薬剤を疾患部や病巣に選択的に集積させ、RIから放出されるアルファ(α)線などの放射線を用いて細胞を死滅させる治療法を核医学治療法と呼びます。近年、この核医学治療に用いるα線放出RIとして、アスタチン-211(211At)の需要が急速に高まっています。85番元素85Atは、1940年にサイクロトロンと呼ばれる加速器を用いて合成・発見された人工元素で、元素周期表でヨウ素(53I)の真下に位置するハロゲン元素です。211Atは半減期7.2時間でα線を放出して、最終的に安定同位体である鉛-207(207Pb)に放射壊変します(図1)。
図1 アスタチン-211(211At)の放射壊変
211At(陽子数85、中性子数126)は、半減期7.2時間、41.8%の確率で、長寿命(半減期32年)のビスマス-207(207Bi:陽子数83、中性子数124)へとα壊変する。また、58.2%の確率で、電子捕獲壊変によりポロニウム-211(211Po:陽子数84、中性子数127)へと壊変する。211Poは、直ちに(半減期0.52秒)安定同位体である鉛-207(207Pb:陽子数82、中性子数125)へα壊変するため、211Atは実質的に100%の確率でα線を放出する。図中のEαは、α線のエネルギー値を示す。
211Atは、サイクロトロンなどの加速器で、光速の12%程度に相当する約28メガ電子ボルト(MeV、1MeVは100万電子ボルト)まで加速した高エネルギーのヘリウム-4(4He)イオンをビスマス-209(209Bi)標的に照射し、209Bi+4He→211At+2n(n:中性子)で表される核反応によって合成されます。211Atは短寿命のRIであるため、輸送に時間のかかる海外からの輸入は不可能で、利用するためには国内製造が必須です。理研の研究チームは、2015年度より理研RIビームファクトリー(RIBF)[7]のAVFサイクロトロン[8]を用いて、211Atの製造技術開発を行い、211Atの製造・供給を進めてきました。
図2に、従来の211At製造装置の概念図を示します。AVFサイクロトロンで加速された4He2+イオンビーム(最大40マイクロアンペア(μA、1μAは100万分の1アンペア))は、ビーム軸に対して15°に傾けて設置された固体Bi標的に照射されます。照射中、Bi標的は、水とヘリウムガスによって冷却されます。
照射後は、化学実験室でBi標的を石英管内に置き、電気炉で850℃に昇温して気体となった211Atを酸素気流とともに-100℃に冷却したフッ素樹脂管に通し、211Atを固化させて管の内壁に捕集します。その後、管内に数100マイクロリットル(μL、μLは100万分の1リットル)の水やエタノールなどを流し、211Atを溶解してバイアル(小さなガラス瓶)に回収します。
図2 従来のアスタチン製造装置の概念図
AVFサイクロトロンで加速された4He2+イオンビーム(最大40μA、ピンク線)は、ビーム軸に対して15°に傾けて設置された固体Bi標的(赤)に照射される。照射中、Bi標的は、水(青)とヘリウム(水色)によって冷却される。
理研で製造された211Atは、これまでに、所内、大阪大学、東京大学、国立がん研究センターなど、約20グループに供給され、さまざまながん治療薬の開発に活用されてきました。2021年には、大阪大学医学部附属病院において難治性甲状腺がんに対する医師主導治験が開始され、実用化が期待されています。
このように211Atを用いたがん治療薬の開発が進み、211Atの需要がますます高まる中、より大強度のビームを用いた211Atの大量製造技術の開発が望まれていました。しかし、金属Bi標的の融点が271.5℃と非常に低いため、ビーム強度を増大すると熱で標的が融け落ちてしまい、211Atの生成量がビーム強度に比例して増大しないという問題がありました。融けたBiを保持するためには、加速器に垂直照射コースを建設して、標的に対して真上からビームを照射する手法が考えられます。しかし、融けた高温のBi標的にビームが照射されると、Atが気化して標的から失われてしまう問題もありました。40μAを超えるような大強度ビームで211Atを製造するためには、標的照射技術におけるブレイクスルーが必要となっていました。
研究手法と成果
共同研究チームは、高速で回転する標的容器と211Atの化学分離器を併せ持つ画期的な211At製造装置の開発に成功しました。開発した211At製造装置の概念図と写真(標的チャンバー)をそれぞれ図3と図4に示します。金属Bi標的は、炭素製容器の内壁にリング状に張り付いています。照射中、標的容器を高速で回転させることにより、大強度のビーム照射によってBi標的が融けても遠心力によって標的の形状を維持させ、確実にビームを標的に命中させて安定的かつ大量に211Atを製造できます。通常の加速器施設では、水平照射コースが一般的です。本装置を用いれば、コストのかかる垂直ビームラインを新たに建設する必要がなく、211Atの大量製造を実現できます。
211Atの製造効率の増大は、多数の利点があります。まず、より多くの利用者により多くの211Atを提供できるようになります。加速器の運転時間を短縮し、211Atの製造コストが安くなります。これは211At薬剤の開発費や薬価の低減化につながります。さらに、製造効率の向上によって、薬剤合成に用いる211At原料の純度が高まり、薬剤の合成効率の向上や高品質化も期待されます。また、211Atの数量は放射壊変によって半減期7.2時間を経過するごとに半分量に減っていきますが、大量に製造できれば、輸送に時間がかかっても治療に必要な量は確保され、加速器がない遠隔地においても211Atを利用できるようになります。
今回開発した装置では、4Heイオンビーム照射中または照射直後に、高周波誘導加熱装置を用いて標的容器を昇温することにより、211Atのみを気化させて標的から化学分離し、ヘリウムの気流に乗せ、フッ素樹脂管を通して化学実験室まで運んで回収できます。このように迅速で簡単に回収できるため、211Atの放射壊変による損失を最小限に抑えることができます。また、Bi標的は容器内に置いたまま、繰り返して使用することができます。
図3 本研究で開発したアスタチン製造装置の概念図
4Heイオンビーム(ピンク線)照射中または照射直後に、⾼周波誘導加熱装置(コイル)(⿊)を用いて標的容器を昇温することにより、211At(オレンジの丸)のみを気化させて標的から化学分離し、ヘリウム(水色)の気流に乗せ、12mのフッ素樹脂管を通して化学実験室まで運んで回収できる。このため、211Atの放射壊変による損失を最小限に抑えることができる。また、209Bi標的(赤)は容器内に置いたまま、繰り返して使用することができる。
図4 アスタチン製造装置の写真(標的チャンバー部)
写真右側から4Heイオンビームがチャンバーに入射される。左側の黒い配管を通って211Atが化学実験室へ搬送される。
理研リングサイクロトロン(RRC)[9]を用いて、本装置の試験運転を実施しました。図3に示したように、RRCで加速した4Heイオンビーム(0.5μA、4He2+換算)を回転Bi標的(800回転/分)に照射しました。標的容器は、Heガス中に置かれ、水(4L/min)で冷却しました。照射後、高周波誘導加熱装置を用いて標的容器を650℃まで昇温し、Bi金属を液化、211Atを気化させてBi標的から分離し、He気流(0.5L/min)に乗せて、110℃に加熱したフッ素樹脂管(内径1.5mm、約12m)を通して化学実験室へ搬送しました。化学実験室では、液体窒素(-196℃)に浸したフッ素樹脂管または活性炭カラムを用いて211Atを回収しました。ゲルマニウム半導体検出器[10]を用いて211Atを定量したところ、従来法(図2)を用いた場合と同等の高い収率(約80%)が得られました。
また、従来装置の限界を超える50μAでのビーム照射も行い、一般的な研究に必要とされる約200メガベクレル[11](MBq、1MBqは100万ベクレル)の211Atの試験製造にも成功しました。
今後の期待
113番元素ニホニウム(Nh)の合成・発見に用いられた理研重イオン線形加速器(RILAC)[12]は、3年間に及ぶ増強工事を経て、2020年より理研超伝導重イオン線形加速器(SRILAC)[13]として生まれ変わりました。SRILACは、211At製造に最適な4HeイオンビームをAVFサイクロトロン5台分に相当する大強度(200μA以上)で発生できると期待されています。今後、SRILACと今回開発した211At製造装置を利用し、さらに大強度のビーム照射によって211Atの製造効率を増大させ、より多くの利用者により高品質の211Atを供給し、211At医薬品の開発、実用化に貢献していく予定です。
学会情報
講演題目
アルファ線核医学治療用アスタチン-211の大規模製造装置の開発
発表者名
安良田寛、栗原嵩司、中村伸悟、佐藤望、殷小杰、南部明弘、重河優大、金山洋介、荒井秀幸、長澤豊、羽場宏光
発表学会
第20回日本加速器学会年会、口頭発表(THOA12)、2023年8月31日、千葉県船橋市
特許情報
- 名称 : 放射性核種の製造方法、ならびに量子線照射のための標的保持装置、システム、および標的
- 国際公開番号 : WO2023095818
補足説明
- 1.アスタチン(At)
85番元素アスタチン(元素記号At)は、1940年にサイクロトロンを用いて合成・発見された人工元素で、元素周期表でヨウ素(I)の真下に位置するハロゲン元素である。現在知られているAtの同位体は、全て放射性同位体である。質量数211の同位体211Atは、半減期7.2時間でα線を放出して最終的に鉛-207(207Pb)へ放射壊変する。 - 2.アルファ(α)線
不安定な原子核の放射壊変の一つにアルファ(α)壊変がある。α壊変では、不安定な原子核がα線、すなわちヘリウム-4の原子核(原子番号2、質量数4)を放出してより安定な原子核に壊変する。この結果、原子番号が2、質量数が4小さい原子核に変化する。α線は、4~10MeV程度の大きなエネルギーを持ち、周囲の原子を電離・励起しながら物質中を直進する。α線の生体組織内での飛程はベータ(β)線やガンマ(γ)線に比較して短く、高いエネルギーを組織に付与することから、α線を放出するRIを抗体などに標識してがん細胞に集積させれば、高い細胞死滅効果と副作用の低減が期待される(α線核医学治療法)。 - 3.放射性同位体
同じ原子番号(陽子数)を持つが、中性子数が異なる原子を同位体と呼ぶ。不安定でより安定な原子核に放射壊変する同位体を放射性同位体と呼ぶ。ラジオアイソトープまたはRI(Radioactive Isotope)などと呼ぶこともある。これに対し、放射壊変しない安定な同位体を安定同位体と呼ぶ。 - 4.核医学治療法
放射性同位体(ラジオアイソトープ、RI)を含んだ薬剤を疾患部や病巣(がん、あるいは良性疾患)に選択的に集積させ、RIから放出されるベータ(β)線やアルファ(α)線などの放射線を用いて細胞を死滅させる治療法。RI内用療法とも呼ぶ。 - 5.サイクロトロン
サイクロトロンは、1929年、アメリカのErnest Lawrenceによって発明された粒子加速器の一種である。古典的サイクロトロンは、一様な磁場中に置かれた二つの半円形の電極から構成される。イオン源でイオン化された荷電粒子は、サイクロトロンの中心部に導入される。電極には高周波電圧が加えられ、粒子は電極のギャップで加速される。荷電粒子が磁場の中を運動するとき、ローレンツ力が働いて軌道が曲げられる。半周回って再びギャップに到達したとき、高周波の位相は逆転しており、粒子は再び加速される。荷電粒子はギャップを通過するたびに加速され、軌道半径は大きくなる。最大エネルギーに到達した荷電粒子は、電極の出口に配置されたデフレクターによって軌道が曲げられ、サイクロトロンの外に取り出される。 - 6.高周波誘導加熱装置
高周波電流をコイルに流すと生じる電磁誘導現象を利用し、金属などの導電性材料を非接触で加熱する装置。 - 7.理研RIビームファクトリー(RIBF)
サイクロトロン5基、線形加速器2基、RIビーム分離発生装置、基幹実験装置群で構成される理研の重イオン加速器施設。RIビームをウランまでの全元素にわたって世界最大強度で発生させる。理研RIビームファクトリーでは、新たな原子核モデルの構築、元素の起源の解明といった根源的研究から、医療用RI製造、育種、半導体試験などの応用研究まで、さまざまな研究が行われている。RIBFはRadioactive Isotope Beam Factoryの略。 - 8.AVFサイクロトロン
サイクロトロンの一種で、AVFは、Azimuthally Varying Field(方位角方向変動磁場)の略。AVFサイクロトロンでは、方位角方向に磁場の強弱を付けることで等時性と強収束を実現し、イオンを古典的サイクロトロンよりも高エネルギーまで加速できる。 - 9.理研リングサイクロトロン(RRC)
サイクロトロンの一種で、イオンの加速原理はAVFサイクロトロンと同じ。理研リングサイクロトロンは、4基の独立した電磁石で構成され、AVFサイクロトロンよりも高いエネルギーまでイオンを加速できる。RRC はRIKEN Ring Cyclotronの略。 - 10.ゲルマニウム半導体検出器
放射性同位体の放射壊変に伴って放出されるエックス(X)線やガンマ(γ)線を高エネルギー分解能で計測する検出器。 - 11.ベクレル
放射能の大きさを表す単位(記号はBq)で、放射性同位体が1秒当たりに壊変する原子核の数。 - 12.理研重イオン線形加速器(RILAC)
高周波電場を用いて、ウランまでのあらゆる元素の重イオンを直線的に加速する加速器。線形加速器では、多数のチューブ型電極が空洞の中に直線上に並べられている。電極の長さと高周波の周波数は、電極間の電場の向きがイオンの到達時間に同期して変わるように設計され、電極間を通過するたびにイオンが加速される。RILACは、重イオンを加速するために、低い周波数(18~45MHz)で運転できるようになっており、また多種のイオンに対応するため周波数を変えることができる。RILACはRIKEN Liner ACceleratorの略。 - 13.理研超伝導重イオン線形加速器(SRILAC)
超伝導材料を用いて線形加速器のチューブ型電極を作製することで、低い発熱量で高電圧を発生させ、RILACよりも高エネルギーのイオンを加速できる。SRILACはSuperconducting RIKEN Liner ACceleratorの略。
共同研究チーム
理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室
室長 羽場 宏光(ハバ・ヒロミツ)
研究パートタイマーⅠ 佐藤 望(サトウ・ノゾミ)
テクニカルスタッフⅠ 南部 明弘(ナンブ・アキヒロ)
協力研究員 殷 小杰(イン・シャオジェ)
特別研究員 重河 優大(シゲカワ・ユウダイ)
技師 金山 洋介(カナヤマ・ヨウスケ)
金属技研株式会社 技術開発本部
エンジニアリングセンター
栗原 嵩司(クリハラ・タカシ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
中村 伸悟(ナカムラ・シンゴ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
荒井 秀幸(アライ・ヒデユキ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
開発センター
安良田 寛(アラタ・ヒロシ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
長澤 豊(ナガサワ・ユタカ)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)産学共創プラットフォーム共同研究推進プログラム「安全・安心・スマートな長寿社会実現のための高度な量子アプリケーション技術の創出」(2017~2021年度)による助成を受けて行われました。
発表者
理化学研究所
仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室
室長 羽場 宏光(ハバ・ヒロミツ)
金属技研株式会社 技術開発本部
エンジニアリングセンター
栗原 嵩司(クリハラ・タカシ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
中村 伸悟(ナカムラ・シンゴ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
開発センター
安良田 寛(アラタ・ヒロシ)
(理化学研究所 仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 客員技師)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
お問い合わせフォーム
金属技研株式会社 営業本部
Tel: 03-5365-3035
Email: info [at] mtc.kinzoku.co.jp
産業利用に関するお問い合わせ
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