政府は7月17日、新たな骨太の方針となる「経済財政運営と改革の基本方針2020~危機の克服、そして新しい未来へ~」を閣議決定した。 その中核に据えられたのは、 「行政のデジタル化(デジタル・ガバメント)」 だ。 言うまでもなく、政府はこれまでも行政のデジタル化に取り組んできた、はずである。が、実際には遅々として進んでいない。実はそこには“意外な理由”が隠されていた。 ■先進国で最下位の「行政デジタル化」 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府は緊急事態宣言を発出、休業要請や外出自粛を実施したことで経済活動が停止した。これに伴い、様々な給付金や助成金の支給を打ち出したものの、オンライン申請で不具合が続出するなど、デジタル化の脆弱さが露見した。オンラインで送信された申請書をすべてプリントアウトし、それらを手作業で1つ1つ確認するという喜劇のような滑稽な現場の状況も報道された。 このため、今回の骨太の方針では、 「デジタル・ガバメントの構築を早急に対応が求められる“一丁目一番地の最優先政策課題”と位置付け、行政手続のオンライン化やワンストップ・ワンスオンリー化など取組を加速する」 ことを打ち出した。 この方針にそって、政府はデジタル化の遅れや課題を徹底して検証・分析し、1年を集中改革期間として改革を強化・加速。 さらに関係府省庁の政策の実施状況、社会への実装状況を進捗管理するため、内閣官房に民間専門家と関係府省庁を含む新たな司令塔機能を構築し、マイナンバー制度の抜本改善や地方自治体のシステム標準化に取り組み、“利用者目線”に立ったデジタル化・オンライン化へと政策システムへの転換を進める――としている。 具体策として、「マイナンバー制度の抜本的改善」では、 (1)「PHR」拡充へ2021 年に必要な法制上の対応、2022年を目途に実施 (2)e-Tax等の自動入力情報(医療費、公金振込口座等)の拡大 (3)在留カードとマイナンバーカードとの一体化 (4)運転免許証、自動車検査証及び自動車検査登録手続での活用 (5)各種免許・国家資格、教育等での活用 (6)国税還付、年金給付、各種給付金等の公金受取手続の簡素化・迅速化 (7)預貯金口座へのマイナンバー付番について本年中に結論 などが打ち出されている。 なお、「PHR」(Personal Health Record)とは、生まれてから学校、職場など生涯にわたる個人の健康等の情報について、マイナポータル(政府運営のオンラインサービス)等を用いて電子記録として本人や家族が正確に把握するための仕組みだ。 これだけではない。マイナンバー制度以外にも、 (1)デジタル・ガバメント実行計画の見直し及び施策の実現の加速化 (2)国・地方を通じたデジタル基盤の標準化の加速 (3)分野間データ連携基盤の構築、オープンデータ化の推進 と行政のデジタル化は多岐にわたり、その力の入れ具合がわかる。 だが、冒頭で述べたとおり、政府はこれまで行政のデジタル化に取り組んでこなかったわけではない。実際、以下のように20年ほど前から様々な計画が打ち出されている。 ■2001年「e-Japan戦略」=日本型IT社会の実現を目指す構想 ■2010年「新たな情報通信技術戦略」=新たな国民主権の社会を確立するための重点戦略 ■2012年「電子行政オープンデータ戦略」=公共データの活用促進に集中的に取り組むための戦略 ■2018年「デジタル・ガバメント実行計画」=行政のあり方をデジタル前提で見直しデジタル・ガバメントの実現を目指す それでも、OECD(経済協力開発機構)の「Digital Economy Outlook 2017」によれば、2016年に政府サイトで電子申請を利用したことのある個人の割合は、日本では5.4%にとどまっており、調査した31カ国で最下位となっている。 ■実は抑制されているデジタル化予算 では、政府の積極的な取り組みの半面、なぜ行政のデジタル化は進展してこなかったのか。 その要因の1つとして考えられるのが、意外なことに「国債制度」のあり方だ。 まずは、下の「諸外国の債務管理」の表をご覧頂きたい。 これは、財務省の「国の債務管理の在り方に関する懇談会」の資料から筆者が作成したものだが、国債に「使途の区別」を設けているのは日本のみだ。 日本の財政法では、第4条で、 「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」 としている。 つまり、財政法第4条に規定された国債はいわゆる「建設国債」であり、「公共事業費」に使われると認識されている。 一方で「特例国債」、いわゆる赤字国債の発行には別途、法律が必要であり、「公共事業費以外」に使われるとの認識である。 言い換えるならば、建設国債は道路や橋、施設などのインフラ、つまり「有形資産」になるものに使われ、赤字国債は社会保障費や今回の新型コロナでの給付金、助成金など“無形で資産性のないもの”に使われるという「使途の区別」になる。 これは、建設国債が使われるものには有形資産として「資産性がある」ため、将来世代の役に立ち、国の財産となるが、赤字国債が使われるものは無形資産であり、「資産性が乏しい」ため、将来世代に“借金を残す”と捉えられる理由でもある。 すなわち、行政のデジタル化を推進するにあたっての研究開発、システムやソフトウエア、アプリケーションなどへの投資は無形資産であり、国の保有資産として認識されていないのだ。 実際、財務省の説明では、公共事業とは「民間では対応が困難な公共施設の整備等について、国や地方自治体が行うもの」としており、各年度予算の公共事業関連費の中には、行政のデジタル化関連費用は含まれていない。 では、具体的な予算配分はどうなっているのか。 2020年度当初予算では、公共事業費は6兆8571億円が計上されている。道路関係だけでも2兆472億円にのぼる。 2020年度当初予算では、「政府全体で共通的に利用するシステムの整備及び運用に係る予算」を、内閣官房のIT総合戦略室が統一的な方針により要求・執行することで、効果的かつ効率的な政府情報システムの整備・運用を実現できるとして、34システムの整備・運用等に必要な経費を内閣官房が一括計上したのだが、その額は674億円に過ぎない。 公共事業以外の“公共投資”がいかに少額に抑えられているかの表れだろう。 2020年度第1次補正予算でも、「新型コロナウイルス感染症の拡大の影響により、ニーズが顕在化した行政手続のデジタル化等を進めるため」として、行政手続等のICT化予算が計上されたが、わずか51億円だ。 ちなみに、現在大きな問題となっている「GoToキャンペーン」も同時に計上されているが、その予算額は1兆6794億円にのぼる。 建設国債で調達される予算では、公共事業に対する旧態然とした概念のまま、道路、港湾、治水など有形資産へは多くの予算が割り当てられるのに対して、公共事業に含まれない行政のデジタル化を推進するにあたっての研究開発、システムやソフトウエア、アプリケーションなどへの投資は“微々たるもの”に抑え込まれているのが現実なのである。 その上、“借金”という意識の強い赤字国債では“言わずもがな”だ。赤字国債を発行してまでも実施する必要がある(ある意味、国民受けする)施策やGoToキャンペーンのように、政権の“肝煎り”の施策には大きな予算が計上されるものの、目に見える形で実績をアピールしにくい(ある意味、国民受けしにくい)行政のデジタル化などへの投資は抑制されているのだ。 ■無形資産への投資に“手枷足枷” 事実、政府の保有資産に占める無形資産の割合は、行政のデジタル化先進国であるデンマークが18.2%であるのに対して、日本は2.8%でしかない。これは、無形資産への投資がいかに少ないかの表れでもある。 今や国の政策投資は、今回の「骨太の方針」でも述べられているとおり、有形資産よりもデジタル化など無形資産への投資の重要性が増している。こうした状況の中で、国債に使途区分を設けていることは、行政のデジタル化推進など無形資産に対する投資の“手枷足枷”となっている可能性が高い。 実際、2019年11月27日に行われた安倍晋三首相が議長を務める「経済財政諮問会議」では、新浪剛史議員(「サントリーホールディングス」代表取締役社長)から、「建設国債の使途を拡大すべき」など、建設国債のルールについて多くの意見が出された。 これに対して、黒田東彦議員(「日本銀行」総裁)は、 「国債自身に赤字国債や建設国債という印は付いていない。だから、別に今の財政法を変えたりする必要はなく、トータルの赤字をどうやって抑制するか、トータルの政府債務残高をGDP比でどうやって安定させていくかということで、今、政府全体として取り組んでいる」 と反論した。 また、安倍首相は、 「建設国債・赤字国債トータルとして、我々は債務残高対GDP比を削減していこうという大きな目標がある。言葉として赤字国債と言うと、すごく聞こえが悪い問題があるわけで、どういう表現をしていくかということもあるのだろう」 と述べている。 確かに黒田総裁が言うように、国債に印は付いていない。だが、これは「金には色がない。盗んだ金であろうが借金であろうが、同じ金だ」という屁理屈と同じだ。 少なくとも、国債に建設国債と赤字国債の区分があり、使途が区別されていることが行政のデジタル化を進めるための無形資産への投資に影響を及ぼすのであれば、建設国債のルールを見直すべきではないか。 ■時代に即していない財政法 もう1つ、行政のデジタル化が遅々として進まない理由として、骨太の方針で政府自らが記しているように、「利用者目線に立ったデジタル化・オンライン化」が必要とされていることが挙げられる。 新型コロナの感染拡大を受けた給付金や助成金の支給では、「わかりづらい」「使い勝手が悪い」という批判が相次いだ。 2020年6月30日の拙稿『日本文化「印鑑」は本当に必要なのか』で筆者は、いくら行政手続きに電子印鑑や電子署名を取り入れても、 「借地借家法、宅建業法、派遣法等では、書面作成義務が課せられている(すなわち押印が必要)ため、電子化できないという点も大きな阻害要因だ」 と指摘した。 行政のデジタル化というお題目ばかり唱え、外形だけ整えてみても、利用者が簡単に安心して利用できるものでなければ、“仏作って魂入れず”になりかねない。 財政法の施行は、1945年の第2次世界大戦終戦から2年後の1947年と古く、戦後の復興期でインフラ投資が重要視されていた時代のことだ。現在のように、研究開発やシステム投資など無形資産への投資の重要性に対応したものではない。 国民にとって有益で使いやすい行政のデジタル化を行うためにも、建設国債のルールから財政法そのものを見直すべきだろう。
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August 03, 2020 at 04:01AM
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