食べると思い出す。まちの風景、家族や友人との語らい――。戦争や政治的混乱など様々な事情で母国を離れ、日本に移り住んだ人たちがいる。それぞれが語る故郷の味とこれまでの人生、いま抱く思いに耳を傾けた。
「おいしいものを」ベトナム料理店を支えた家族愛
東京・二子玉川の駅近く、雑居ビルの3階にその店はあった。ベトナム出身のグエン・ティ・ジャンさん(71)が、南ベトナムの味を守ってきた「ジャンズ」。人気の生春巻きには、新米の米粉でできた皮をベトナムから輸入して使ってきた。新鮮な素材にこだわり、丁寧にシンプルに作られた料理は1997年の開店以来、評判だった。
拡大する後ろのビル3階に、グエン・ティ・ジャンさんが23年間ふるさとの味を守ってきた店「ジャンズ」はあった=東京都世田谷区、荒ちひろ撮影
ベトナム戦争終結から6年後の1981年。夫と幼い3人の子どもが、小さな船で国を脱出した。夫は戦争で敗れた南ベトナムの元軍人。子どもの将来を考えた末の決断だった。万一失敗したときに帰る家を失わぬよう、ジャンさんは一人残った。
実際、国を出るのは簡単ではなかった。憲兵に見つかったり、頼んでいた船が来なかったり。7度目の出発から3日、禁止されている英語のラジオを毎晩こっそり聴いていた。「約50人が乗った船が日本の船に助けられた……」。船の大きさや人数、助けられた地点などから直感した。たぶんこれだ。2週間ほど経って無事を知らせる電報が届いた。
亡命先でお金がなくても家族がおいしいものを食べられるようにと料理を学んだ。ボートピープルとして日本で保護された夫が、ジャンさんを呼び寄せる手続きをした。1年、2年……。7年後の88年、ようやく来日がかなう。料理の腕前は、人に教えるほどになっていた。生徒や友人らに背中を押されて97年8月8日、「ジャンズ」を開いた。
拡大する「ジャンズ」の店内で、ベトナムからの留学生のアルバイトと一緒に写真におさまるジャンさん(左)。以前はアルバイトに店を手伝ってもらっていた=ジャンさん提供
ランチからディナーまで休む間もなく、毎日厨房(ちゅうぼう)に立った。この10年ほどは夜に絞り、夫と2人で切り盛りしてきた。
2人とも70歳を過ぎ、考えた。「あとどのくらい続けられるかな」「もうちょっとやりたいな」。そんな矢先、コロナ禍が世界を襲った。客足は読めず、輸入していた生春巻きの皮も入ってこなくなった。「一生懸命準備した料理を捨てなくてはならない。心が痛かった」と言う。
支援を申し出てくれる常連客もいたが、今年7月に惜しまれつつ店をたたんだ。「23年間病気なくやってこられた。神様に感謝したい。お店は私の仕事であり、私そのものだった」。閉店直後は落ち込んだものの、「来年のことは、また考えましょう」と少しずつ前を向く。(荒ちひろ)
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