音声として言葉を発する「スピーチ」と言葉を音楽に乗せて発する「歌」は、いずれも言葉としての意味情報を持っており、リズム(節)やメロディが存在するといった共通点も存在します。しかし、人々は「歌でも言葉の意味が伝わるから」という理由で常に歌うことはせず、シーンや意図によって歌とスピーチを使い分けています。ソフトウェアや科学系の記事を執筆するブロガーのPhilip Dorrell氏は、人々が歌とスピーチを使い分ける理由について、「音楽に乗った言葉は自然なものとは認識されないため」という説を提唱しています。
What is Music? Music Is A Superstimulus For The Perception Of Non-Spontaneous Non-Conversational Speech
https://whatismusic.info/blog/MusicIsASuperstimulusForThePerceptionOfNonSpontaneousNonConversationalSpeech.html
What is Music? Music Is Not A Positive Superstimulus – It's A Negative Superstimulus
https://whatismusic.info/blog/MusicIsNotAPositiveSuperstimulusItsANegativeSuperstimulus.html
Dorrell氏は音楽とスピーチにリズムやメロディなどの類似点が存在する理由について、「音楽はスピーチの超正常刺激であるからだ」と主張しています。超正常刺激とは、特定の刺激を強調して本物よりも魅力的なものに増幅した刺激のことを指す言葉で、現実にはあり得ないのに動物を引きつける強い魅力を持つものです。
たとえば、ミヤコドリは一般的に3個の卵を産んで保温する性質を持っていますが、近くに通常より多い5個の卵を固めて置いておくと、そちらに移動して5個の卵を抱こうとすることが知られています。ミヤコドリには「似た色と形であればより大きいものを抱こうとする」という習性があるため、通常より2倍、3倍も大きな卵を置いた場合でもそちらを保温しようとするとのこと。人間においても、女性の化粧は顔の魅力を通常以上に増強する超正常刺激の一種だとする研究結果があります。
ところが、音楽がスピーチの超正常刺激であるとするならば、言葉を音楽に乗せて発する歌と言葉をそのまま発するスピーチの使い分けが問題だとのこと。超正常刺激は基本的に通常の刺激より魅力的なものと認識されますが、「自分の言葉を魅力的に思わせるために全てのスピーチを歌に置き換える」というケースは考えにくく、人々は明確に歌とスピーチを使い分けています。ミュージカルなら会話の中で突然歌い出しても問題ありませんが、一般的な日常会話の中でいきなり歌い出した場合、会話の雰囲気がめちゃくちゃになってしまいます。
Dorrell氏がこの問題を解決できる仮説として提唱しているのが、音楽はスピーチがもたらす知覚の否定的な側面を刺激する「負の超正常刺激」だという説です。Dorrell氏は人々がスピーチを聞く際に、以下のようなステップで音声の処理を行っているとしています。
1:話者がスピーチを行う。
2:リスナーが「スピーチの意味」を認識する。
3:リスナーが「スピーチの感情的な意義」を認識する。
4:リスナーが「スピーチが真実かどうかについての信念」を決定する。
5:以上のプロセスを踏まえてリスナーが話者に応答する。
これに加えて、Dorrell氏は「スピーチに対する感情的な反応の強さは、スピーチが真実かどうかについての信念に従って変動する」と述べています。これを言い換えると、「スピーチが真実だと思っている場合、その意味に対する感情が強くなる。しかし、スピーチがうそだと思っている場合、その意味に対する感情が弱くなる」ということになります。
Dorrell氏は、リスナーが「スピーチが真実であるかどうか」を判断する基準となるのは、「会話の文脈に基づいて、話者がその瞬間に言うことを決めた『自然なスピーチ』かどうか」だと指摘。会話の文脈は絶えず変化していますが、文脈にかかわらず発される「あらかじめ用意されていたスピーチ」は自然なものとはならず、スピーチが真実だとは受け取られないとのこと。話者のスピーチが真実ではないとリスナーが認識した場合、それに応じて話者への反応が変化します。
Dorrell氏の仮説では、音楽の「負の超正常刺激」が刺激するのは、リスナーの「スピーチが自然なものではないと認識する能力」だとされています。つまり、音楽に乗せて言葉を発する歌においては全ての言葉が自動的に「自然なものではない」と認識されるとDorrell氏は述べています。この場合、スピーチの自然さに基づいた「話者の言葉が真実かどうか」の判断そのものが放棄されるため、感情的な意義の増減は発生しないとのこと。
音楽に乗った歌詞を聞いたリスナーは、その意味や感情的な意義を認識する一方で、真実性についてはそもそも評価を行いません。歌詞によって想起した感情は完全な強度で維持されますが、それは言葉の真実性を評価しなかったことによるものだとDorrell氏は主張しています。そのため、「話している内容が真実のものである」と伝えたい場合はスピーチの方が有効であり、人々は歌とスピーチの使い分けをしているとのことです。
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