大阪のビルでクリニックが放火され、巻き込まれた25人が亡くなった事件で、遺族の代理人の弁護士らは、突然夫を失い十分な補償がないまま子どもを育てていく遺族がいるなどの現状を明らかにしました。
弁護士らは、遺族の補償の充実を岸田総理大臣に要請したということです。
大阪・北区のビルに入る心療内科のクリニックが放火された事件では、巻き込まれた25人が亡くなりました。
容疑者も死亡しました。
この事件を受けて、遺族の代理人の弁護士と犯罪被害者の支援団体が、岸田総理大臣に遺族らの補償の充実を求める要請書を送り、14日、会見を開きました。
要請では、殺人事件の被害者遺族などに国が支給する「犯罪被害者等給付金」は、事件前の被害者の収入に基づいて補償額を計算していて、今回の放火事件の被害者の多くが無職であるため、交通事故で命を落とした場合に補償される金額よりも低くなってしまうと指摘し、同等の補償をするよう求めています。
また、夫を亡くした妻の「被害者は1人だとしても、被害者の家族、遺族はその何倍もいます。生きがいを奪われ、人生を壊された人が何倍もいます。でも、これからも生きていくんです」などというコメントを明らかにし、十分な補償がないまま、子どもを育てていかなければならないという現状を説明しました。
遺族の代理人の奥村昌裕 弁護士は、「加害者が死亡し、民事裁判で賠償請求を訴えることもできないので、充実した給付金を求めたい」と話しています。
【夫を失った遺族2人のコメント】。
大阪・北区のクリニックが放火された事件で、遺族2人が代理人の弁護士と支援団体を通じてコメントを発表しました。
夫を亡くしたという遺族のコメントの全文です。
※原文ママ。
「あの日あの時間あの場所で、わたしたちにとってとても大切な人が悪意を持った人間によって、思い描いていた未来ごと殺されました。まだまだこれからもずっと一緒にいるはずだったのに、全く知らない他人に全て奪われました。きっと一生この喪失感は消えないし、未だに現実感もありません。憎い。わたしたちの人生をめちゃくちゃにした身勝手なあの人間が死んだという現実のせいで、余計にいつまでもいつまでもこの苦しみから解放されることはないと思います。夫を亡くした遺族(妻)」。
夫を失った、別の遺族の手記の全文です。
【はじめに。】
今回この文章を書いている間中、わたしは大きなストレスを抱えていました。
時間をかけ、何度も涙をぬぐいながら書きました。
遺族が置かれている現状を知って頂くには必要なことだと思いながら、これがきっかけで個人を特定されたら・・・事件当時のように取材を語って夫が事件に巻き込まれたことを近所に吹聴されたら・・・と思うと、不安でなりません。
また今回の被害遺族にとって、実名報道そのものや、いつまでもネット上に残っている事件に関する記事を目にすることは大変なストレスです。
一生に1度の最愛の夫との別れを、マスコミ対策に心を砕き、安らかに...と、それだけに専念して心静かに送らせてもらえなかったことを、わたしは一生忘れません。
マスコミ各社におかれましては、当事者の抱える辛さを知り、考えて頂き、被害者となったみなさんが少しでも前を向いて行けるよう、ご支援頂ければと願います。
一切の個人情報とそれに関わる情報についての取り扱いを、故人の尊厳と遺族の心情を最優先に、慎重の上に慎重にしていただくことを心からお願いしたいと思います。
【夫について】
夫は、資格を持ち、正社員として働いていました。
しかし生きづらさを感じ、自分でいろいろと調べたうえで、事件現場となる「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」への通院を始めました。
夫は愛情深く、同僚や友人からも頼りにされ、慕われていました。
仕事で忙しい中でも家庭のことを大切にし、育児にも家事にも積極的に協力してくれ、わたしも子どもも、夫の愛情を感じながら充実した日々を送っていました。
クリニックで診断を受け退職を決めた後も夫は自分の資格・仕事に誇りとやりがいを持ち、「この状態がずっと続くわけではない。資格を活かして長く働き続けることができる形を考えていこう」と結論を出し、「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」での治療とリワークプログラムへの参加を決めました。
しかしながら、わたし以外の身内や友人には、退職し、復職のための療養期間中であることは伏せていました。
心配をかけたくないということが第一ですが、現代の日本社会において「無職」という言葉が持つ影響の大きさを無視できなかったからです。
【支援法の存在】。
夫の身元確認のために警察署へ伺った際、付き添ってくださった警察官の方が「このような時ですが、どうしても期限のあるものですので...」と制度(犯罪被害者等基本法、犯罪被害者等給付金支給法)のことをお教え下さいました。
精神的にも経済的にも家庭を守ってくれていた夫を亡くし、子どもをこれから夫がいない中で育てていけるのかと悲嘆に暮れていたわたしに、制度の概要にある「早期に」、「再び平穏な生活を営むことができるよう」、という文言が力を貸してくれたのは、事実です。
夫が殺されてしまっても、毎月支払わなければならないものはあります。
葬儀の費用も小さくはありません。
夫のサポートがあったからこそわたしも働くことができていましたが、いなくなってしまった今、仕事をセーブする必要も出てきました。
よって収入も減ってしまいます。
月々の支払いは1度でも滞ると社会的な信用をおおいに失います。
こんなときにお金の話か、と思われるでしょうか。
しかし、わたしはそういう価値観がある社会で、子どもを育ててゆくのです。
夫と一緒に育てていくはずだった子どもを、まだあちこちに夫を感じることができるこの場所で、育てていきたいのです。
そのために法の支えが必要だと思いました。
しかしそれは覆されました。
【法の理念はどこへ】
犯罪被害者等給付金の制度についてどのような手続きをとるべきか伺いたく警察に電話しました。
しかし窓口の警務部の方から受けた印象は「まだ申請は早いですよ」でした。
捜査段階であることを挙げられていたように覚えていますが、さらに追い打ちをかけられたのが、給付額の算定基準が「被害者の被害当時の収入額による」ということでした。
今回の事件であの場に居たのは、被疑者一人を除けば、失業手当や傷病手当を受給しながら、また、解雇や退職を乗り越えてのち、自分ため、家族のため、その未来のために、復職することを目標に前向きに励んでいた方、その方々を支えてくれていたスタッフの方ばかりです。
リワーク中で、その時は仕事についていなかった状態を、報道でも給付金の算定でも「無職」とひとくくりにされることの弊害と、遺族のみなさんが受けられるショックはあまりにも大きいと思います。
こと今回の被害者遺族にとっては、まるで故人の尊厳を傷つけられたようにも感じられました。
だってわたしたちは、働きたくても仕事に行くのが辛そうで、それでも無理して家を出る姿を見てきたのです。
クリニックやリワークに出会って、症状や体調が良くなったり、また戻ったりしながら、自分の病気や特性と向き合う姿に、寄り添い、辛さを分かろうとし、応援していたんです。
聞けば聞くほどこの制度は「早期に」でも、「再び平穏な生活を営むことができるよう」にでもありませんでした。
警務部から送付して頂いた制度のパンフレットには、減額規定も山のようにありました。
多様性のある社会を目指す先進国の制度には、ほど遠いように感じます。
加えて、犯罪被害給付の受給の手続きを終えなければ、犯罪被害遺児のための犯罪被害救援基金の奨学金の受給申請もできません。
また、これも当事者となって知ったことですが、刑事事件において民事訴訟を起こせた場合でも、損害賠償、慰謝料の踏み倒しや詐害行為が非常に多く、泣き寝入りをせざるをえない状況にある方の多さに驚きました。
交通事故には加害者が無保険でも政府補償で自賠責並みの補償が適用されるのに、犯罪被害には被害補償の保障がないのです。
なにも悪くないのに。
こんなことで命を落とす予定なんてなかったのに。
被害者はお一人だとしても、被害者の家族、遺族はその何倍も居ます。
生きがいを奪われ、人生を壊された人が何倍も居ます。
でも、その人たちはこれからも生きていくんです。
このような状況が野放しにされている実態が、何の落ち度もなく被害に遭われた方の尊厳を幾重にも傷つけていると強く感じます。
事件の直前に夫から「これからどんな風に働いていくか具体的な道筋が見えてきたから、聞いてほしい。話す時間をつくってほしい」と言われていました。
残念ながら夫からプランを聞くことはできませんでしたが、復職して、めいっぱい育児もして、子供の成長をともに見守る日々がそこにはあったのだろうと思います。
でも、夫はもういません。
犯罪被害給付がいつ、どのような算定基準で給付いただけるかの目途も立ちません。
それでも、子どもが寂しさ以外の不自由さを感じることがないよう、一生懸命育てていきます。
からの記事と詳細 ( クリニック放火事件 遺族の弁護士ら 補償充実を首相に要請|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp )
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