7年前の「関東・東北豪雨」で大規模な浸水被害が出た茨城県常総市の住民などが国に対して3億円余りの損害賠償を求めている裁判で、最後の弁論が25日、水戸地方裁判所で開かれ、原告の1人が「堤防の低い危険な場所を最優先に整備しなくては国民の生命と財産を守れない」と意見を述べました。
判決はことし7月に言い渡される予定です。
平成27年の「関東・東北豪雨」では鬼怒川の堤防が決壊し、大規模な浸水被害が出て茨城県内で3人が死亡、13人が災害関連死に認定されています。
住宅が浸水する被害を受けた常総市の住民など32人は、「国は堤防の高さが不足していることを知りながら、適切な対策をとらなかった」などとして、国に対して3億円余りの損害賠償を求める訴えを水戸地方裁判所に起こしています。
25日は、最後となる11回目の弁論が開かれ、この中では原告団の共同代表を務める片倉一美さんが、「洪水は堤防の低い場所から起きるのであり、そこを最優先に整備しなくては国民の生命と財産を守れない。国に責任がないというのは大きな間違いだ」と意見を述べました。
一方、被告の国側は「堤防などの整備計画を適切に立てたうえで鬼怒川全体で段階的に整備を進めていた」などとして、改めて、全面的に争う姿勢を示しました。
判決はことし7月22日に言い渡される予定です。
茨城県常総市で鬼怒川の堤防が決壊し、大規模な浸水被害が出た平成27年の「関東・東北豪雨」。
被災した常総市などの住民たちが国に対して3億円余りの損害賠償を求めている裁判で2月、最後の弁論が開かれました。
7月に予定されている判決を前に、詳しい争点をお伝えします。
(水戸放送局 田淵慎輔記者)
【争点は「計画が合理的か」】
住宅が浸水するなどの被害を受けた住民たち32人が「鬼怒川の堤防の高さが不足していることを知りながら、国は適切な対策をとらなかった」などとして、国に対して3億円余りの損害賠償を求めているこの裁判。
争点になっているのは、鬼怒川の堤防などを整備する「計画」が「合理的」かどうかです。
〈下敷きは昭和51年の最高裁判決〉
というのも、今回の裁判では原告側も被告側も、水害をめぐる過去の同じ判決、昭和51年の最高裁の判決を下敷きにして主張しているからです。
これは大阪府大東市を流れる谷田川の氾濫によって被害を受けた住民が国の責任を訴え、損害賠償を求めた裁判でした。
この裁判の判決で最高裁は、水害が起きた時の河川の整備状況だけでは国の管理に問題があるとは言えず、「整備の計画」に注目するべきだと示しました。
例えば、一般的な川で、あるところだけ堤防が低くなっていたり、川に土砂がたまって水位が上がっていたりして、水があふれやすくなっていたとします。
「危険だな、ちゃんと整備してほしいな」と思うところですが、判決では「堤防のかさ上げ工事などの整備をいま、進めている河川なら“高まっている途中の安全性”で十分」だとしています。
つまり、まだ整備が終わっていなくて安全性が不足していても、これから整備しようとしていれば、「管理としては問題ない」ということです。
そのうえで、行おうとしている整備のもとになる「整備計画」に注目し、計画が“格別不合理でないか”や、計画を前倒ししなければならないような、危険がはっきり分かる“特別な事情があるか”で、管理に欠陥があるか判断すると示しています。
川は多かれ少なかれ、水害の危険をはらんだ自然のものであるため、完全な人工物の道路などの場合と比べると、厳密な管理を求めない判断基準になっているということです。
また、堤防などの整備にはさまざまな制約、例えば「全国にたくさんの河川がある中で予算が限られる」であるとか、「堤防の整備には工事の技術上も、用地の取得などでも時間がかかる」といった制約があって、整備が簡単には進まないことなどが考慮されています。
【鬼怒川の水害詳しい争点は】
今回の裁判も、こうした枠組みの中で争われています。
争点を詳しく見ていきます。
裁判で主に争われているのは、場所で言うと2つ。
決壊地点の上三坂地区と、水が堤防を越えた若宮戸地区。
どちらも当時、被害が特に大きかった地域です。
〈上三坂地区〉
まず上三坂地区についてです。
原告側は「地盤沈下で堤防の高さが年々下がって、計画上の高さを下回っていた。国は測量でそれを知っていながら、ほかの地域より堤防の整備を優先するなどの対策をとらなかった」と主張しています。
これに対して、国は「用地の調査を始めるなど、堤防の整備に向けて動いていた。また、堤防の高さだけでなく幅なども踏まえて安全性を評価し、上流や下流とのバランスを総合的に考えながら整備を進めていた」と反論しています。
〈若宮戸地区〉
次に若宮戸地区についてです。
この地区は太陽光発電のパネルが作られたすぐそばで氾濫が起き、水害当時から堤防の整備の経緯が話題になっていました。
原告側は「太陽光パネルの設置のために、もともと堤防の代わりになっていた砂丘林が削られてしまった。国はこの砂丘林を河川区域に指定して、掘削などを自由にできない区間にするべきだったし、堤防を造るなどの十分な対策もとっていなかった」としています。
これに対しても、国は「河川区域の指定は法令に定めがなく、指定していないことで整備計画が不合理であるとは言えない。堤防を造る計画を立てたうえで作業を進めていたし、掘削工事の後に土のうを積むなど、できるかぎりの措置を講じている」としています。
【国の責任認められるか】
整備の状況そのものというより、「計画が合理的」かどうかが争点となっている裁判。
何が不合理で、逆に何が合理的なのかは難しい判断となります。
はじめにも触れましたが、最高裁の判例の判断基準では、例えば「予算が限られている」とか、「堤防の整備には時間がかかる」といったことも考慮されます。
水害に対しては完全な安全性を備えることはできない、という前提で、さまざまな行政側の事情が検討されるので、これまでの水害の裁判では国の責任を認めるケースは決して多くありません。
最高裁の判例が大きな“壁”だと言われてきた理由です。
判決で国側の責任が認められるには、やはり大きなハードルがあると思います。
ただ、取材している中ではそのハードルがとてつもなく高い、とも感じません。
今回の裁判では、被災した1人1人が法廷に立ち、それぞれが1時間ほど時間をかけて、当時の被害状況や裁判に臨む思いを述べました。
これは「なるべく多くの原告に発言する機会を設けたい」という原告の弁護団の考えに対し、裁判所が理解を示して提案を受け入れたためです。
実際に裁判を取材していても、裁判官は原告たちのことばに耳を傾け、丁寧に質問している印象でした。
また、去年8月には水害現場の視察も行われましたが、これは「国の責任について判断するなら、ぜひ現地を見て考えてほしい」という原告の強い要望に対し、裁判所が可能な範囲で応じたものでした。
裁判官が当事者の証言などに真剣に耳を傾けること自体はある意味当然なので、要望に応じているからといって、原告側に有利な判断がされるとは言い切れません。
ただ一方で、原告の訴えが全く取り合われていないというわけでもないと感じます。
【注目の判決 原告に向き合えるか】
7年前の「関東・東北豪雨」の後、全国的に水害が相次いでいます。
被災地の中には裁判を起こす動きもあり、今回の裁判でどのような判決が出されるのか注目が高まっています。
常総市の水害に限った話ではありませんが、自然災害で被災した人は少なからず、「なぜこんなことになってしまったのか」、「災害を防ぐことはできなかったのか」というやり場のない思いに襲われます。
今回の裁判に原告として参加している人たちも「水害の原因を知りたい」という気持ちで提訴まで3年、その後も25日まで3年半という長い時間、裁判に向き合ってきました。
判決で国の責任はどの程度認められるのか、注目が集まるところですが、訴えが認められる、認められないにかかわらず、判決が少しでも被災した原告の気持ちに報いるものであってほしいと思います。
からの記事と詳細 ( 常総水害訴訟が結審 判決はことし7月の予定 水戸地裁|NHK 茨城県のニュース - nhk.or.jp )
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