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Friday, August 26, 2022

さよなら安平町追分の味 0755DDチャンネル - nhk.or.jp

安平町追分の地域の味「追分ジンギスカン」の販売が、まもなく終わりを迎える。半世紀以上にわたり手作りしてきた店主が、高齢のため、閉店を決意した。店をたたむのは、今、手元にあるジンギスカンの袋を使い切ったとき。
知る人ぞ知る味を求めて、各地からやってくるお客さんと店主の最後の夏をみつめた。

初回放送 2022年8月27日(土)午前7時55分から
番組HPはこちら

役場の人が教えてくれた

私が安平町追分にある「さかき精肉店」のことを知ったのは、5月、安平町役場主催のイベントに同行したときのことだった。そのイベントは移住候補者にまちの魅力を伝えるため、町内の歴史やエピソードを紹介しながら案内するという内容だった。
案内役を務めた役場職員の内藤さんに「85歳のおばあちゃんがつくる美味しいジンギスカンがあるから、ぜひ行ってみてください」と勧めてもらったのがきっかけだった。
どんなお肉が食べられるのか、早速お店に行ってみた。

笑顔で出迎えてくれたのは、榊 幸子さん。このお店の存在を知ったいきさつを伝えると —。

「美味しいから食べてみてよ~。何年か前にテレビにも取り上げてもらった。最近は人に勧められてくるお客さんが多くなったんだよ。そして、一度食べたらまた来てくれる(笑)」

その話題のジンギスカンはこちら。このお店の看板商品で、現在は1種類のみ販売している。袋の赤い帯には追分ジンギスカンのマーク。このジンギスカンは一体どんな味がするのだろうか、取材が始まった。

知る人ぞ知る人気店

数日通っていると、週末、遠方から多くのお客さんがやってきていることがわかった。
7月の土曜日。お昼過ぎにやってきた2人組。どこからこのジンギスカンを買いに来ているんだろう…。思い切って聞いてみると、100キロ以上離れた京極町からやってきたお客さんだった。どうして?

「小さいころに、追分にいるおじさん、おばさんがお土産に買ってきてくれたのがこのジンギスカンなんです。この周辺は各地に有名なジンギスカンがありますけど、私はこのジンギスカンが大好きなんです」

このお二人、新千歳空港に用事があったから、足を伸ばしたということでした。

札幌市からやってきたという男性にも聞いてみた。わざわざここまで買いにくる理由はなんですか?

「肉が柔らかい、ちょうどいい脂身。母さんの人格に順じたおいしさがあります。本当においしい」

このお店でジンギスカンを仕入れて、安平町のキャンプ場に向かう人もいた。
そんなご夫婦に密着取材ができた。
キャンプ場で、焚き火台の火の上にスキレットを置いて油をなじませたら、もやしと行者にんにくを投入。その上に、追分ジンギスカンの肉を置いていく。
さらに、ジンギスカンの特性タレを注ぎ込むと、あたり一面に香ばしい香りが広がった。

札幌市からやってきたご夫婦は、この追分ジンギスカンを買うために、安平町のキャンプ場に来ることを決めたという。出来上がったジンギスカンを器によそって、「食べていってよ」と言ってくれた。
恐縮しながらまず一切れ。やわらかいお肉に、フルーティーな甘さとラム肉の脂がうまく絡まり、なんとも言えないハーモニー。行者にんにくとの相性も抜群だった。味見と言いつつも、2皿もいただきました。

ごちそうさまでした。

榊さんの朝

各地からお客さんが買いにやってくるジンギスカン。それをつくる榊さんの朝はどんなだろう。朝8時お店の前で待っていると、「足が痛いのよ」と言いながらやってきた榊さんが、お店の扉を開けた。
カウンターの奥で仕込みの身支度を終えると、さっそく肉を切り始めた。機械と包丁を使って、ラム肉をひと口大に切りわけていく。
次の工程はタレへの漬け込み。30年以上変わらないというオリジナルのタレにラム肉がひたされていく。
タレとラム肉が入った袋を、機械に並べて封をする。
その袋を店頭の冷蔵ショーケースに丁寧に並べたところで、ひと段落。

85歳の年齢を感じさせない手際の良さで準備を終えて、午前10時。店の駐車場入り口にジンギスカンののぼりを立てると、さかき精肉店の営業が始まった。

85歳の決心

この地で精肉店を始めてから53年。実は、ことし、お店を閉める決意を固めていた。

「立つとき、歩くときが痛い。座っているときは、どこも痛くないんだけどね…」

ご自身の健康と体力を考えてのことだった。
そして、お店を閉める時期は今使っている袋を使い切ったときと教えてくれた。(6月9日時点で残り1400袋)
この袋は、27年前に亡くなった夫の寿博さんがデザインしたもの。特別な思い入れがあるという。追分とジンギスカンの文字の間にある○寿のマークは、寿博さんの名前に由来していた。

支えになる言葉

榊さんには大切にしている2通の手紙がある。それは、去年、横浜のお客さんから、今年、小樽のお客さんから、それぞれ届いた。横浜の送り主は、小学校5年生で、榊さんの似顔絵も書き込んでいた。
その手紙を見せながら榊さんは「小学生とは思えないくらい上手でしょう」とにっこり。どうして見せてくれたの?

「53年間で初めて手紙をもらった。心の支えになっているからね」

手紙は、お店のカウンターのいつでも手が届くところに大切に置いてある。

思わぬ出会い

8月のある日。お店を訪ねると、女の子を連れた親子3人がジンギスカンを買いにやってきた。買い物を終えて、隣にいた女の子のお父さんが、手紙を送ったのは娘=この女の子であることを伝えると、榊さんの顔がパッと明るくなった。

取材中、仕込みに集中する榊さんは、「職人」としての厳しい表情をみせてきた。それはそれで、長年、ジンギスカンを作ってきた「すごみ」。
そして、いま、手紙を送ってくれた女の子を迎えた穏やかな微笑みが、店中に充実感を振りまいているかのようだった。

榊さん
「このお店をやめたらもう会えないと思っていた。遠いところから会いに来てくれて、すごく嬉しい」

女の子は、榊さんのジンギスカンが美味しかったという御礼の気持ちと、榊さんの身体を気遣う言葉を、笑顔で伝えていた。

3人を見送るときの榊さんの背中は、小さいけれど、あたたかくみえた。

ジンギスカンの袋は、8月25日午後4時の時点で100袋になった。
短い夏が終わり、秋の風が吹くころに、榊さんは最後の1袋をどんな気持ちで売るのだろうか。
ご本人は53年分の涙を流すと話していたが果たして…。

取材後記

私はNHK札幌放送局の新たなチーム「北海道ソリューション」の活動で、安平町を取材していたときに、追分ジンギスカンのことを知りました。安平町役場ホームページには物産品・名産品の1つとして掲載されていて、どんな店主なのか、どんな味なのかワクワクしながら店を訪ねました。
榊さんの笑顔や人柄にも魅了され、何度か足を運ぶうちに、残りの袋で店をたたむことを打ち明けられました。あとわずかで販売が終わることが残念ですと榊さんに伝えると、「知るのが遅すぎたね(笑)」と笑顔で言っていたのが印象的でした。
多くの人の記憶、心にいつまでも残るお店があります。店や名産品は店主のものであり、お客さんのものであると思っていましたが、実はもうひとつ、地域のものでもあったことに気づかされました。ひとつのお店が人と地域を結んでいることを発見しました。

(NHK札幌放送局 廣田 匡志)

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