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Sunday, April 19, 2020

世界彩る紙ナプキン 明治時代、岐阜の会社が初生産 - 岐阜新聞

◎現代では雑貨を華やかに

 飲食店で目にする紙ナプキン。絵柄の入ったカラフルなものを買い集めてしまう人も多いだろう。実は明治時代に日本で最初に生産したのは岐阜の会社。美濃和紙を用いた岐阜産の製品が欧米へ大量に輸出された歴史をひもとこう。

 国内で初めて紙ナプキンの製造を手掛けたのは、十六銀行設立にも関わった実業家、勅使河原(てしがわら)直治郎(1859~1931年)。明治期、県内産業の発展のため、提灯(ちょうちん)に続く海外向けの美濃和紙製品を模索した直治郎が、貿易商のアイデアを受け、岐阜市の勅使河原商店で版木を使い紙ナプキンを作った。

◎優秀な美濃和紙

 家田紙工(同市今町)に残されている、明治~昭和初期の30個以上の版木には、花や提灯、舞妓などの図案のほか、英字が彫られたものもある。同社の家田学社長(59)によると、版木に染料を載せ、美濃和紙の中でも極薄の典具帖紙(てんぐじょうし)に木製のローラーを転がして柄を転写。3~5色の多色印刷が可能だった。20世紀初頭に欧米で開かれた万国博覧会に日本政府が出品し、大好評だったという。

 当時、欧米には極薄の紙を作る技術が乏しく、品質に優れ色柄が豊かな美しい日本産の紙ナプキンは、英国のアフタヌーンティーで菓子を載せるために使われるなど、人気を集めた。

 澤村守編「美濃紙 その歴史と展開」(1983年、木耳社)によると、岐阜市の「紙兵」が勅使河原商店から版木を引き継ぎ、1879(明治12)年に絵柄がプリントされた紙ナプキンの生産を本格的に開始。美濃和紙の独特な風合いが紙ナプキンに適していて、大量の注文が来るようになったという。1905年の岐阜市統計に生産数が6千万枚を超えた記録があり、13年には日本の紙ナプキン総輸出量のうち岐阜県産が約17・6%に上った。

 昭和30年代、新規参入業者が増加した。昭和50年代のピーク時には、県内で7社がひしめき、県内産の家庭用の紙ナプキンの全国シェアが7割超を占めた。

 当時を知る、アートナップ(美濃市殿町)の森昌美(まさよし)社長(75)によると、1967年に同社が、国内で初めて西ドイツ製の全自動紙ナプキン製造機を導入した。手作業での四つ折りが全自動でできるようになり「性能は画期的だった」。製造した5種類の紙ナプキンを引っ提げて東京へ営業に乗り込んだところ、帝国ホテルや大手百貨店などから引き合いが相次ぎ、事業が軌道に乗ったという。

◎「デコパージュ」

 現在、同社が企画・販売する紙ナプキンは年間2億枚。ただ、県内はもとより国内の生産は減少、多くが海外からの輸入品にシフトした。100円ショップを展開するセリア(大垣市)では英字やドット柄の製品が並ぶ。売れ筋は花柄だ。

 そんな紙ナプキン、近年ハンドメイド愛好者の間では「デコパージュ」の材料としての需要が高まっている。デコパージュとは絵柄部分を切り抜いて立体的に貼り付ける手工芸のこと。紙ナプキンの絵柄を児童の上靴などにデコレーションするのが人気だ。カルチャーアカデミー岐阜新聞・ぎふチャンでデコパージュ講師を務める吉田時子さん(73)=岐阜市=は、家でもできる石けんのデコパージュを提案する。

 明治期、欧米に向けて岐阜で生産が始まった紙ナプキンは、形を変えながら現代でも重宝されている。


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