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徳川家とも縁のある佃煮(左からシラス、アサリ、アミ)と小林健児さん=東京都中央区で |
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タワーマンションが林立する東京都中央区佃(つくだ)の一角に、下町情緒あふれる場所がある。地元で「佃島」と呼ばれる佃煮の発祥地だ。
一八五九(安政六)年創業の「つくだに丸久(まるきゅう)」。店に並ぶオキアミ(アミ)、ハゼ、アサリなど約十種類の佃煮から、香ばしいにおいが。七代目店主の小林健児さん(55)が「アミやハゼは、江戸の庶民が食べていた。佃煮は、その名残があります」と説明する。
味付けはほぼしょうゆ。砂糖を隠し味に使い、まろやかな甘みがある。ご飯はもちろん、「お茶漬けにのせてもおいしいですよ」。
佃煮は、近所の親戚が釜で作る。素材やその日の湿度などで、煮る時間や火加減を微妙に変化させる。売れ具合を見て、優先順位の高い素材から作る。釜の温度が自然に下がるのを待って味を染み込ませるため、一日にできるのは一〜三種類が限度だ。
佃島は、隅田川河口に土砂が自然にたまった寄り州だった。一五八二年の「本能寺の変」を受け、明智光秀から逃れた徳川家康を助けたのが、摂津国佃村の漁師ら。家康は江戸に漁師らを呼び寄せ、近海の広大な漁業権を優先的に与えた。
漁師らは、拝領した寄り州を埋め立て佃島と呼んだ。幕府への献上品や換金魚類を除いた雑魚を煮詰め、自家用の保存食としたものを佃煮と呼んだ。
小林さんの先祖も代々、漁師。「佃煮は、女性たちが作り売ったようです」。戦後の高度成長期、隅田川や東京湾は汚れ、多くの漁師が海を離れた。小林さんの祖父も、「副業」だった佃煮屋が本業となった。
近年のコメ離れで、佃煮の需要も下がってきた。材料は全国から厳選し仕入れているが、地球温暖化などで不漁が続き、入手が難しくなっている。「材料が手に入る限りは江戸前の味を守っていきたい」。電話注文もできる=電03(3531)4823。
文・写真 砂本紅年
◆歩く
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「つくだに丸久」など老舗佃煮店が3軒残る隅田川沿いに、「佃島渡船」と刻まれた石碑=写真=がある。江戸初期から佃島と対岸を結ぶ渡し船があり、「佃の渡し」と呼ばれた。1964年の東京五輪前の道路整備で佃大橋が完成するまで、島民らの日常の足となっていた。
近くのタワーマンション群は、水戸藩徳川斉昭が幕末に創設した石川島造船所の跡地に立つ。18世紀後半、「鬼平」として知られた火付盗賊改役(ひつけとうぞくあらためやく)の長谷川平蔵が設立に尽力した犯罪者らの更生施設「人足寄場(にんそくよせば)」があったことでも知られる。
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May 16, 2020 at 06:29AM
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食卓ものがたり>江戸前の味 守り続ける 佃煮(東京都中央区):暮らし(TOKYO Web) - 東京新聞
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