東京の広告会社から三重県鳥羽市石鏡町の海女に転職した上田茉利子さん(37)が6月末で、市の地域おこし協力隊を退任した。市役所を訪ね、中村欣一郎市長に、「退任後も引き続き、鳥羽の海女として地域資源にスポットを当て、情報発信していく」と伝えた。
ダイビングを趣味にしていた上田さんは、広告会社に勤めていた時、海女に憧れるようになった。2017年、市が募集していた地域おこし協力隊「石鏡町活性化~海女のまち暮らし」の担当に応募し、18年に委嘱された。
協力隊の業務としては、「海女の後継者」ではなくPR担当だったが、海女漁にも挑んだ。潜り始めた頃は、ほとんど水揚げできなかったものの、地元の海女の指導を受けて特訓を続けた。今では、夏場は水深4~5メートル、冬場は7~8メートルまで潜れるようになった。アワビやナマコを収穫して「生活が成り立つぐらいは稼げるようになった」という。
それまでは口伝えだった「ヒジキの白あえ」「たこ飯」といった海女料理を、わかりやすくレシピにまとめた。地元の海女料理に詳しい人を講師に迎えた料理教室や、朝市の開催に携わった。
一方、石鏡の古い写真を集めて記録保存する取り組みにも参加した。鳥羽高校で郷土の魅力を紹介する「鳥羽学」を教え、生徒たちがVR(仮想現実)動画を制作する活動や、海の博物館での展示などをサポート。海女文化の紹介に力を注いだ。
協力隊の任期を終えた後も、上田さんは石鏡定住と海女活動の継続を決めた。「海女のみなさんと信頼関係ができた。海女の仕事を主軸にし、今月からは非常勤講師として鳥羽学の指導も続ける。広告会社勤務の経験を生かし、これからも鳥羽の魅力を発信していきたい」と、今後の抱負を語った。
からの記事と詳細 ( 広告会社から海女に転職、決意の定住「生活が成り立つぐらい稼げるように」 - 読売新聞 )
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