『ブラック・ウィドウ』は、多少強引に感じる部分はあるものの、ナターシャ・ロマノフのスーパーヒーストーリーに悲劇の物語の深味が加わった、さすがマーベルと思わせるスリリングなスパイ映画だ。アベンジャーチームのまとめ役であるブラック・ウィドウの過去はこれまで謎に包まれていた。鍛え上げられたロシアの暗殺者であるナターシャ・ロマノフは、黒い戦闘服に身を包み、ヘアスタイルを自由自在に変化させ、次々に別のアイデンティティへと移っていく。その間、彼女は常に過去に対する罪悪感と闘っている。そのブラック・ウィドウのミステリアスな過去へとマーベルがついに深くふみ込んだ。オリジナルのアベンジャーズチーム唯一の女性ヒーローがやっと光を浴びるときがやってきたのだ。
この作品の舞台は、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の間の時期に設定されている。ソコヴィア協定でチームは分裂し、見直しを余儀なくされた。もちろん、映画を観ている人たちはチームが再び結束することを知っている(ナターシャは欠くことのできない主要メンバーだ)。『ブラック・ウィドウ』は、傭兵的な人物とホークアイを救うために自身を犠牲にする女性という、ナターシャのもつまったく違う2つの顔をつなげるものとなっている。彼女の「家族」が紹介され、その後、ブラック・ウィドウたちが訓練を積む「レッドルーム」を破壊するためのミッションがあり、彼女が訓練された殺人者としての自分に常に罪悪感を感じていたことがはっきりとわかる。結局のところ、彼女には選択肢などなかったということなのだ。
この映画はある意味、野心的だといえる。スーパーヒーロー映画であり、スパイもののアクションスリラーであり、機能不全の家族を描くドラマでもあり、最後の物語でもある。そして間違いなく、虐待からの回復を語る映画でもある。若い女性たちを誘拐し、暗殺者になるための訓練をするロシアのプログラムについて語るためにダークなトーンになっており、その大部分はマーベル映画ではないかのような雰囲気がある。ナターシャにスーパーパワーを与えるきっかけとなる特定の出来事はない。放射能を浴びたクモにかまれたり、ガンマ・ボムの爆発で大量のガンマ線を浴びたりはしない。また、ナターシャはすでにS.H.I.E.L.D.を離れているが、そもそも彼女がなぜ加入したかもはっきりとわかるだろう。映画の中心となっているのは、ナターシャが単に過去の自分がやってきたことから逃避しようとするだけでなく、なぜヒーローとしての道を歩み続けているのかということで、希望に満ちてはいるものの、オリジナルのアベンジャーズの一員である彼女が体験した悲劇が強烈なあと味を残す。
「エンドゲーム」後、主にDisney+という場所で、より自由なフォーマットになったマーベル・シネマティック・ユニバースだからこそ、この『ブラック・ウィドウ』は作られたといえる。シットコム形式の『ワンダヴィジョン』やハイコンセプトなSFの『ロキ』のことを考えると、『ブラック・ウィドウ』がジェームズ・ボンド的なスパイスリラースタイルなのも納得だ。世界中のさまざまな場所、オートバイのチェイス、レスキューミッション、命の危険を感じさせる接近戦の緊張感あふれる戦闘シーンなどが次から次へと登場する。これは、サノスのようなヴィランやインフィニティ・ストーン以外にヒーローたちの命を脅かすものはなく、彼らは不死身だと感じさせるマーベル映画からの良い変化だといえるだろう。
ナターシャはもっとも「最適化された」バージョンの人間だが、スーパーヒューマンではない。パンチを受けるときはそうとう痛そうに見える。あらゆる動きをコピーする戦闘スタイルでまるでスーパーヒューマンのようなタスクマスターとの闘いには危機迫るものがある(キャプテン・アメリカの盾からティチャラの腕をクロスさせる構えまで、タスクマスターがどのアベンジャーズをコピーしているかを見るのは楽しみの1つだ)。その結果、クラッシックなスーパーヒーロー映画的な要素とスケール感はそのままに、ストリートファイトのような感覚(ある種『ジェシカ・ジョーンズ』のような)もあるという、マーベル映画としては珍しい作品となっている。世界の基本構造が歪められることはなく、時間も移動しないが、スパイ風味のマーベルワールドに合わせた疑似科学的な未来の技術は数多く登場する。
『ブラック・ウィドウ』で秀逸なのは、ナターシャと彼女の妹エレーナ・ベロワのやりとりシーンだ。それは、2人が対立しているシーンと協力し合っているシーン、どちらにもいえる。フローレンス・ピューはエレーナとしてもブラック・ウィドウとしても素晴らしい演技を見せている。彼女の表情のない顔の演技は最高で、これまで通りにストイックなスカーレット・ヨハンソンの演技からユーモアを引き出している。ナターシャが冷たく接すると、エレーナはユーモアで対処する。ナターシャのブラック・ウィドウとしての着地ポーズや髪を払うしぐさをからかったりし、まさにこれが欲しかったのだったのだという軽やかさを加えている。クラッシックなジャンルに女性ファイターが多く登場するというのはワクワクするものだ。ヨハンソンが走ったり跳んだりし、一方でピューがヘリコプターの操縦をこなすといったところを目にすることもあまりないだろう。さらにオペレーションの頭脳としてレイチェル・ワイズが登場し、3人のトリオとなる。
こういった工夫をこらした華やかなアクションの部分があり、『ブラック・ウィドウ』は最終的にはMCUらしい作品の範囲内に着地する。MCUでは、ヒーローは家族のために戦う、そばにいなかったとしても家族を守るのだという、マーベルで語り続けられている「家族」になるシーンを通してストーリーが進行していく。ナターシャが子どもだった頃に寄せ集めで作られた機能不全の「家族」は、彼女が見つけたアベンジャーズの「家族」とは対照的だ。デヴィッド・ハーバーとレイチェル・ワイズが演じるやる気のない両親は驚くほど共感できるキャラクターで、ドラマをリアリティあるものにしている。ハーバー演じるアレクセイ・ショスタコフはソビエトのスーパーソルジャー、レッド・ガーディアンだが、そのキャリアの全盛期と親であるために強いられた犠牲への執着は、特に観ている人の共感を呼ぶ。しかし、この家族がタスクマスターとの戦いと関係しているのだ。家族という背負っているものを語りつつ、ターゲット、つまり、ブラック・ウィドウ計画の黒幕であるタスクマスターとナターシャとの最終対決に向かって、ストーリーはゆっくりとクライマックスに向かっていく。
ただ、女性スーパーヒーローとそれに関する強引でチープなエンパワーメントメッセージという最近のマーベルにやたらと多い傾向が、『ブラック・ウィドウ』でもくり返されている。例えば、キャプテン・マーベルが墜落し、その後再び上昇し、かつての上官ヨン・ログが最後に当然の報いを受けるシーンだ。ここで気持ちが少し冷めてしまったあとは、キャプテン・マーベルが宇宙船をバラバラにするという文字通り彼女のパワーを示すシーンへと続く。その一方で、MCUの女性キャラクターは、パワフルで暴力的な男性キャラクターにからんだトラウマとなる物語を抱えていることが多い。サノスの養子の姉妹、ネビュラとガモーラは、身体的にも精神的にも苦痛を強いられている。ネビュラはくり返し改造され、ガモーラはサノスによってソウル・ストーンの犠牲にされているのだ。
壮大な戦闘の合間にはとてもはっきりと団結を描く部分もあるが、基本的には『ブラック・ウィドウ』はナターシャについてシリアスに語る作品だ。ブラック・ウィドウは戦闘のための武器としての苦痛に耐え、苦しみ、最後はダークなボンド調の復活の物語となっていく。ただし、ブラック・ウィドウはこれまでずっとグループのメンバーのうちの1人だったわけで、そこは20作品以上続くシリーズの主人公であるボンドとは異なっているが。『ブラック・ウィドウ』の中心にあるのは、トラウマの克服と虐待者との対決だ。その敵はサノスほど強力ではないものの、少女たちを世界でもっとも豊富な「資源」だと言うような人物なのだ。しかし、こういったストーリーの背景の中で苦痛に耐える強さを見せることは、悲劇のヒロインの物語ように感じさせ、マーベルの女性スーパーヒーローの扱い方にとっては致命的にもなりかねない。
『ブラック・ウィドウ』は、ナターシャ・ロマノフを澄んだ心を持つ、素晴らしく強靭なヒーローとして讃えているが、その一方で、『アベンジャーズ/エンドゲーム』での最期の扱いが残念だったことをさらに強調してしまってもいる。ほかの男性ヒーローたちの最期には、彼女の最期とは比べものにならないほど敬意が払われている。キャプテン・アメリカはリタイアしたが、老人となって戻ってくる前にペギー・カーターと再会し、再び一緒になってもいる。ナターシャ・ロマノフは何年もの間虐待に耐え、逃れたあとは命を危険にさらし、そして、友人のために犠牲となったのだ。彼女はもっと本当の意味での追悼に値するはずだ。
マーベルの待望のブラック・ウィドウ映画は、これまでのスーパーヒーロー映画の形式を大きく変えた。スパイもののスリラースタイルで、訓練された暗殺者としてのナターシャ・ロマノフの謎に包まれた過去にふみ込んでいる。彼女の「家族」についての話から始まり、独創的なヴィラン、タスクマスターが登場する。目を奪われるようなアクションシーンも数多くあるが、アクションと家族のドラマのバランスをうまく取るのは難しく、最近のマーベルにやたらと多い女性ヒーローについてのメッセージも押し出されている。揺るぎないモラルを持った素晴らしいファイターとしてのナターシャを完全にとらえているために、それが『アベンジャーズ/エンドゲーム』でのふさわしいとはいえない彼女の最期をなおさらほろ苦いものにしている。
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