豚バラをあごだしで、オリーブオイルも
みなさんはどんなとき、鍋を食べたくなりますか。
いま日本で生きる人たちは、どんな鍋を、どんな生活の中で食べているのでしょう。そして人生を歩む上で、どう「料理」とつき合ってきたのでしょうか。
「名前のない鍋、きょうの鍋」をつくるキッチンにお邪魔させてもらい、「鍋とわたし」を軸に、さまざまな暮らしをレポートしていきます。
今回は、イタリアンレストランでサービスをしていた鎌倉市の男性のもとを訪ねました。
春日偉宏(よりひろ)さん:1984年神奈川県生まれ。大学卒業後、25歳のとき大船のダイニングバーに就職。2年後にワインバーに転職し、ワインの奥深さや面白さを知り、のめり込む。31歳の春から、鎌倉のイタリアン『コマチーナ』に勤務。2020年退職。学生時代から音楽活動も続け、現在も不定期でライヴ活動を行う。担当はサクソフォン。
家に招き入れてもらったら、ベランダへの窓が大きく開いていた。布団が干されている。
にぎやかな鎌倉駅から歩いて十数分、山のほうの静かな住宅街である。冬の太陽がなんだか近くに感じられた。表を歩く小学生の声がカラッと室内まで響いてくる。
「寒いですよね? いま窓を閉めますね」と気づかってくださりつつ、鍋の準備を進めてくれる。今回もいつものように、「きょうの気分で、鍋料理を作ってください」とお願い済みだ。
そして春日さん、なんと半袖姿。年の瀬も近づく頃に取材をお願いしたが、待ち合わせ場所にも半袖のまま現れて、ちょっと面食らった。
「きょうはいろいろやることがあって急いでたもんですから、暑くって」と屈託なく笑わられる。
太いネギが手早く刻まれていく。続いてミョウガも切られて、マイタケは食べやすい大きさにほぐして。鍋から漂うだしの香りは……なんだろう。ちょっと独特な香りがする。
「あご(※トビウオ)だしなんです。九州を旅行したとき、地元の方がごちそうしてくれたあごだしの豚しゃぶがおいしかったので、きょうはそれを」
福岡や長崎では定番のあごだし。うま味は強いが、クセはなくスッキリした味わいだ。そこに長ネギ、ミョウガ、マイタケを入れてしばし煮ればベースは完成。
「簡単で洗いものも少なくて、鍋はいいですよね。冬に多いときは週1でやります」
味はそれぞれ好きなように変えられるのもいい、と春日さん。以前に取材した方もポン酢、だし醤油、ゆずコショウなんかを用意して、家族めいめいが好みに味つけしていたっけ。
春日さんはかつて、鎌倉のイタリアンレストランで働いていた。かなりの人気店で、県内はもとより都内から足を延ばす客もめずらしくなく、店はいつもいっぱい。シェフの料理と共に、ホスピタリティに富む彼の接客にもファンは多かった。
実は私もそのひとり。食への興味がどんなふうに育まれてきたのか、知りたくなって取材を申し込んだ。
「うちの父親、テレビなんかで知らない食べものを見るとすぐ買ってくるような人なんです。僕が小さい頃、ドリアンやヤシの実を買ってきたのを覚えてます。当時よく手に入ったなあ、って」
お父さんが買ってくるめずらしいものを家族全員で楽しむ。春日家の日常のひとコマだった。ちなみにご両親とも、食とは全く関係ないお仕事。世の中にはいろんな食材があり、いろんな味わいがある――普段からそういうことを知れる環境だった。
そして大学に入り、お酒の味も知る。
「日本酒の蔵元が経営する和食店でバイトしていました。ビールも製造していて」
いろいろ味見させてもらえる日々。日本酒やビールって、おいしいなあ……と感じ入る。酒との幸せな初期出合いだった。
「杜氏さんや料理長ともお話できてすごく勉強になったし、興味も湧いてきたんです」
そして27歳のとき、当時バイトしていたワイン食堂でまた大きな出合いが。とある自然派ワインに心から感動。「こんな味わいのものがあるのか」と。
もっとワインのことが知りたいという思いが募り、その店に正社員として就職する。じっくりと勉強していこうと思ったら、先輩ふたりが系列店に異動になり、なんと店長に抜擢(部下はなし)!
「ワインのこと訊かれても『実は僕もよく分からないんです』なんて正直に言ってました。常連さんから『子ども店長』なんてあだ名を付けられて(笑)」
話を伺ううち、せっかくの鍋が煮詰まりそうになってしまった。ひとまずご相伴にあずかろう。
まず先のだしで豚を軽く煮る。魚と野菜、キノコの複合だしの香り、たまらない。
ネギとミョウガ、マイタケを適量巻いて、小皿に取り、ここから味つけ。春日さんがふたつの瓶を取り出した。
「自家製の梅醤油(左)とポン酢です」
梅醤油とは「梅ジャムを作ったときの残りのタネを醤油に漬け込んだもの」だそう。どちらも料理人である妻さんの手づくりだ。
酸味が効きつつも、まろやかな梅醤油。柑橘香がさわやかなポン酢。両方、甘みの強い豚バラ肉によく合う。
さらに春日さん、オリーブオイルも重ねた。
「これがすっごく合うんですよ!」
実際試してみて、納得。醤油とオリーブオイルの相性の良さは知っていたけれど、ポン酢や梅風味の醤油とも素敵なコンビになるとは。サプライズだった。
さて、春日さんの話に戻ろう。
シェフから直々に「うちで働きませんか」と誘われ、2015年から鎌倉のイタリアンで働き始める。この10歳年上のシェフから料理のことは元より、多くのことを教わった。そして働くうち、自分なりの接客スタイルが育まれていく。
「自分はもともと、頭が固いほう。『サービス=こういうもの』と思い込まないように、頭でっかちにならないように、しなやかなサービスでありたい。人と場合によって、形を自在に変えられるような。お客さんが和やかで在れるようなサービスをしたい。(お客さんそれぞれが求めるものに)寄り添うことを大事にしたいと思っていました」
現在、春日さんはイタリアンレストランを退職して別の店で働いている。
「そろそろ自分の責任でやってみたい。自分を表現するお店をやってみたい」という気持ちからの退職だった。時に36歳。
しかし時期はコロナに重なる。無職のまま居たところ「だったらうちを手伝ってよ」と知り合いから声がかかったのだ。
店を持つことに関して、夫婦で計画もしているが「絶対(に店を持とう)とは決めてないんです」タイミングですからね、と笑った。
「風通し、日当たり、そして面白そう……と思える三拍子」の場所を探しているよう。
サービス=人生、といつしか思えるようになった。「人に何かを提供するのが好きなんです」――その〝何か〟をどういう形にするのか。春日さんは考えている。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター。「暮しと食」、日本の郷土料理やローカルフードをテーマに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)『ジャパめし。』(集英社)『自炊力』(光文社新書)などがある。ツイッターは@hakuo416。
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