男性社会を切り開いてきた女性たちの戦略
創業者の死後、後継者たちの放漫経営で10億円以上の負債を抱えて倒産寸前だった日本電鍍(でんと)工業。めっきを主事業とする同社が経営危機にひんしていると知った創業者の娘、伊藤麻美さんは32歳で代表取締役就任を決意。3年後には単年度黒字化に成功し、男性経営者が多い製造業で、20年以上も会社を成長させてきた。未経験の女性社長に冷たい視線が向けられる中、社員との対話を重視しながら、できることをコツコツ進めた。そんな伊藤さんが心がけた戦略とは?
たった1度の人生、勝負をかけよう
編集部(以下、略) 両親が他界して米国で暮らしていた伊藤さんは「会社が危ない」「自宅が抵当に」と連絡を受け、急きょ帰国し、負債を抱えた会社を自ら経営することを決めました。かなり厳しい状況だったと思いますが、どのような思いで決断したのでしょうか。
伊藤麻美さん(以下、伊藤) 父が創った会社を存続させたいという気持ちでしたね。本当は経験ある方に経営を任せたいと相談していたのですが、当時の状況があまりにも悪くて、経験がある人は誰も手を出さない。負債に対して個人保証が必要な時代でしたから、つぶれそうな会社を、個人で保証してまでよみがえらせようとは思わない。それだけの魅力や将来性はないと、経営のプロなら判断したと思います。
結局、私しかいなかった。経験もないのに何ができるのかと言われましたが、父が創った会社に対して、ほかの人には見えない可能性を感じました。で、あればやろう、と。たった1度の人生、今が勝負をかけるときだ、という気持ちでした。困難にぶち当たったとしても、やらないより、やったほうが自分に得るものがある。満足いく人生につながると思いました。
築き上げた技術や人の蓄積がある。可能性を信じた
―― そこまで思い切った決断ができた要因は何でしたか?
伊藤 父の死後に会社を継承した人の放漫経営が負債の原因だったので、許せない気持ちもありました。ここで挽回できるのは私しかいない。それまで家族は全く経営に携わっていなかったので、分からないことばかりでしたが、父を信じる気持ちが背中を押しました。
父が起こした会社は貴金属めっきの技術に定評のある優良企業でした。もちろん会社は生き物ですから簡単に業績が落ちることはありますが、築き上げた技術や人の蓄積がある。今はボタンを1つ押し忘れているだけで、それを探してもう1回押し直せば復活する、と。やり方次第で必ず再びいい会社になる。私には、その姿が見えました。
冷静に自分の人生や価値観、自分が本当にやりたいことと向き合って出した結論です。帰国して数カ月後、実際に状況を知ってから本当に数日で心を決めました。
―― 早い決断だったのですね。就任はスムーズに進んだのですか?
からの記事と詳細 ( 「本物の社長を連れてきて」負債10億の会社継いだ女性の再建物語:日経xwoman - 日本経済新聞 )
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