国産ジェット旅客機の開発から撤退し、2024年3月に解散した三菱航空機の社長を2年余り務めた。総額1兆円以上をつぎ込んだとされる「日の丸ジェット」だが、技術者は素人集団だったと振り返る。再挑戦の動きが早くも出ているが、過ちを繰り返さないためには謙虚に学ぶ姿勢が欠かせないと話す。
(写真=太田 未来子)
[三菱航空機元社長]
川井 昭陽氏
私は2013~15年に旧三菱航空機の社長を務めていました。同社で開発していた国産初のジェット旅客機「三菱スペースジェット(MSJ)」は23年2月に開発中止が発表され、同社は社名変更後、24年3月に解散しました。経済安全保障の観点でも非常に意義のある国産ジェット機の計画だっただけに、残念に思います。
親会社である三菱重工業の経営判断としては仕方がない面もあります。開発期間が延びるなか、採算が読めないプロジェクトに資金を投じ続けるのは厳しかったのではないでしょうか。企業の資金には限りがありますから。
一方、日本の航空機産業という視点からは本当に惜しい。世界の航空関係者は「日本の実力はこんなものか」と思ったでしょうし、国家の信頼が失墜してしまった。さらに、国産ジェット機の実現を目指して培った人材など、かけがえのない資産が途絶える危機に直面しています。とはいえ、MSJは極めて難しいプロジェクトだったことは間違いありません。
「えー、本気でやるのか……」。プロジェクトが始まると聞いた06年ごろ、航空機とは異なる事業部でミサイルやエンジンの事業に携わっていた私はこう思いました。まず頭によぎったのは、開発費用が続くかという懸念でした。
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