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通帳を手に昔を振り返る会長の笠間史盛=石川県白山市竹松町で |
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全く聞き慣れぬ言葉だった。「磁気変動率のデータを出してほしい」。一九七〇年代半ば。金融機関向けの通帳などを作る笠間製本印刷(石川県白山市)の社長だった現会長の笠間史盛(てるもり)(75)は、大手電気機器メーカーの求めに面食らった。
金融システムのオンライン化が地方銀行や信用金庫にも広がったころ。のりとはけで手書きの通帳を作ってきた会社は、機械で自動記帳できる磁気通帳への切り替えを迫られる。地方の小さな会社にとって、かなりの試練だ。同業者は相次いで手を引いていった。
しかし、笠間製本印刷には創業時から手掛けた洋式帳簿で得た金融機関からの信頼があった。得意先の北陸銀行(富山市)に電気機器メーカーの工場長を紹介してもらい、さまざまな助言を受ける。先の「磁気変動率」などの難問もどうにか乗り切った。「地方で生き残ったのはうちだけだった」と史盛。今も通帳を作るのは、東京や大阪に本社を置く大手を含めて全国に六社しかない。
洋式帳簿の生産は一八七五(明治八)年、のりとはけを使う表具職人だった中吉忠平(なかぎりちゅうべい)が「中外堂」の名で金沢で始めた。その二年前に実業家の渋沢栄一が第一国立銀行(みずほ銀行の前身)を起こして以降、全国で次々に銀行が生まれる。盆と暮れの年二回の決済でよかった江戸時代の大福帳は、毎月決済の洋式帳簿に替わった。中外堂は帳簿にけい線を引く機械をいち早く入れた。北陸地方はおろか国内でも珍しかった。
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手作業で洋式帳簿を作る人たち(笠間製本印刷提供、撮影年は不明) |
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事業は中吉の門弟だった笠間銀次郎、その息子の金次郎へと受け継がれる。戦後にかけて北日本を中心に全国の金融機関に販路を広げ、「帳簿の笠間」と呼ばれるほどの地位を築いた。要望に応じて正確なけい線を引くなど、丁寧なものづくりを心掛けた。「他と違って丈夫で長持ち。見えないところに一手間も二手間もかけていた」と史盛は胸を張る。
六二年に金次郎の子の吉知(よしとも)が社長に就くと、金融機関で使われる小切手や約束手形、株券なども刷り始めた。六九年、吉知が病に倒れ、東京の印刷会社で修業中だった長男の史盛が呼び戻される。「命の次に大事なお金に関わる仕事。心を込めて作りなさい」。吉知の教えを胸に三十歳だった史盛が後を継いだ。その後、主力製品は帳簿から通帳へと変わった。
お金に関わる大切な印刷物を扱うだけに、新たな顧客の開拓は一筋縄ではいかない。ほかの印刷会社や広告代理店での営業職を経て二〇一一年に入社した新藤健児(50)は、受け持った北海道の金融機関の担当者から通帳を頼むとはっきり告げられた。豊富な営業経験に照らし「決定で間違いない」と安心しきる。だが、ふたを開ければトップの意向で別の会社に決まってしまった。「通帳は金融機関の顔。それを痛感した」と新藤。苦い経験を胸に、新たな信頼を勝ち取るためにひた走る。=敬称略 (中平雄大)
【会社メモ】1875年、金沢で中外堂として創業。1962年に株式会社化して社名を笠間製本印刷所に改める。2005年に本社を現在地の石川県白山市竹松町に移転し、笠間製本印刷に改称した。主力商品の「エコ・カラフル通帳」の納入実績は44都道府県の243金融機関で、総冊数は9387万冊に上る。19年4月期の売上高は15億8000万円。従業員は81人。東京と大阪に支店・営業所がある。
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April 03, 2020 at 08:06AM
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【百年を生きる 北陸の会社】通帳作り 重ねた信頼 笠間製本印刷(上) - 中日新聞
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