* * * 本能寺の変とは、明智光秀による主君織田信長の殺害事件である。殺害には、何らかの動機があったはずだ。しかし、その動機が明確ではないことと、天下人の殺害という大事件が、なぜいとも簡単に成功したのか、そして、なぜ光秀はわずか11日で羽柴秀吉に敗れたのかがわからないこと、この三つの大きな「謎」があるために、本能寺の変をめぐってはさまざまな「説」が提唱されてきた。 光秀の「動機」をめぐる諸説、光秀の背後には彼を唆した人物(勢力)がいたのではないかと仮定し、光秀を動かした「黒幕」を推理する諸説が、これまでに何人もの研究者、論者によって提唱されてきた。 しかし、そもそも光秀は、ほとんど素性もわからない身であったのを信長によって引き立てられ、国持大名にまで大出世を果たした人物である。光秀自身、事件のわずか5カ月前の正月の祝いの席で、信長への深い尊敬と感謝の念を表明したりもしている。その光秀が、なぜ信長殺害という「暴挙」にでたのか。限られた史料をもとに理由を類推することは、非常に難しい。だからこそ、「誰かが光秀を裏で操っていたのでは?」という黒幕説に活路が見出されたわけだが。 光秀自身による「証言」、すなわち動機の自白は極めて限られている。 事件後、娘婿でもある細川藤孝(幽斎)に宛てた書状で、光秀は「藤孝の子・忠興ら若い者たちを出世させるために信長を討った」「自分は畿内を制圧したら隠退し、自分の息子や細川忠興に天下を譲るつもりだ」と述べている。しかし、これは細川父子を何とかして味方に引き入れようと必死に説得する文章だということに注意する必要がある。自分の野望を隠し、「あなたの息子や私の息子に天下を譲るためにやったのだ」という、光秀の自己弁護に過ぎない可能性が高いのだ。
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