文字通り一世を風靡した「三大テノール」コンサート。サッカーワールドカップとも縁が深いあの一大スペクタクルが年明け早々、東京に帰ってきます。今はなき主役の一人、パバロッティに捧げる形で、ドミンゴとカレーラスが夢の共演を果たします。1月16日(月)に東京ガーデンシアター(有明)で開催される今回のコンサートの意義について、音楽評論家の香原斗志さんが語ります。
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サッカーW杯と切っても切り離せない「三大テノール」
FIFAワールドカップの決勝は、3対3の激戦でPK戦の末、アルゼンチンがフランスを下し、36年ぶりの優勝を果たした。しかし、決勝前夜にひとつ足りないものがあった。「三大テノール」のコンサートである。
それが今回にかぎって、1カ月余り遅れてではあるが、開催されるのである。それも東京で。しかし、その詳細に触れる前に、「三大テノール」がいかに特別であったか、という話をしておきたい。
ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス。「世界三大テノール」と総称されていた3人の傑出したオペラ歌手が、はじめて一堂に会したのは、1990年7月7日のこと。FIFAワールドカップ・イタリア大会の決勝前夜祭として、ローマのカラカラ劇場でコンサートが行われたのだ。
彼らはテノールという同じ声域で、重なるレパートリーも多く、その当時はライバルとしてねたみ合っているともいわれていた。よほどのことがないかぎり、同じ舞台に立つような3人ではなかったのだが、当時、よほどのことがあった。白血病から奇跡の復活と遂げたカレーラスを祝福する、という目的だ。
それでも、コンサートを発案したプロデューサーのマリオ・ドラディ氏は、私がインタビューした際も、「あのときだれも、このコンサートが大きなムーブメントになるなんて思っていなかった」と語った。
ところが、終わってみれば一晩で8億人が視聴し、CDが1600万枚も売れ、クラシック音楽の記録を次々と、それも大幅に塗り替えていった。
そして、ほかならぬ私自身が、視聴するやいなや、毒が回ったかのように彼らの声のとりこになって、オペラの「オ」の字も知らなかった両親にも伝播した。私はCDを繰り返し聴き、映像を重ねて観るうちにオペラの世界に深入りし、仕舞いには生業とするようになってしまった。彼らの声と歌には人の心を揺さぶり、時に価値観まで変えさせてしまうだけの力があったということに尽きる。
世界中で多くの人の人生を変えたコンサート
さて、2度目は4年後、1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会の決勝前夜に行われ、ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで開催されたコンサートの模様は、なんと13億人が視聴したという。
それを機に、「三大テノール」の世界ツアーも企画された。1996年6月29日、東京の国立霞ヶ丘競技場で行われた日本でのはじめてのコンサートでは、最高席7万5000円のチケットが6万枚ほど、即座に売り切れている。
こうした世界的なブームにはつきものだが、話題性だけで飛びついた人もいた。しかし同時に、この3人の歌をライブで聴けるよろこびに打ち震え、彼らの歌を入り口にして、いまもオペラと声による至芸を追い求めている人が、私をふくめて数多い。
広がったのはファンの裾野だけではなかった。私は内外で若いオペラ歌手にインタビューをする機会がよくあるが、歌手を志した動機を尋ねると、国籍のいかんにかかわらず「三大テノールのコンサートを映像で観て、声の魅力と歌の力に圧倒されたから」と答える人が多い。その声と歌に魅せられた人たちにとって、三大テノールという存在は、いわば革命だったのだ。
現在、アーティゾン美術館で開催中の「パリ・オペラ座-響き合う芸術の殿堂」では、総合芸術としてのオペラが、あらゆる芸術の十字路であることが確認できる。そして、今後もそうした十字路であるために、すなわち、オペラという芸術が力強く命脈をたもちつづけるために、「三大テノール」がはたした役割はきわめて大きい。
FIFAワールドカップとの縁も切れなかった。1998年のフランス大会では、コンサート会場となったエッフェル塔の前を群衆が埋め尽くした。そして、2022年の日韓共催大会の決勝前夜には、横浜アリーナで開催された。
だが、その次、2006年のドイツ大会では開催されず、その翌年にはパヴァロッティが亡くなってしまった。だから、もう「三大テノール」のコンサートは、二度と開催されることはないと思っていたのだが。
「すばらしいサプライズ」
そこに「パヴァロッティに捧げる奇跡のコンサート」と銘打って、ドミンゴとカレーラスが一夜かぎりの競演をすることになったのである。1月16日、会場は有明の東京ガーデンシアターで、18時30分に開演する。
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日韓共催大会決勝前夜から20年余り。世界ツアーも2003年が最後だったから、やはり20年ぶりだ。パヴァロッティの死後も、世界中から寄せられていた「ドミンゴとカレーラスの2人だけでも競演してくれないか」という希望が、ようやく東京でかなう。
ドミンゴ自身にとってもサプライズだったらしく、
「予想していなかっただけに、すばらしいサプライズです! 久しぶりにホセとステージをともにでき、また、ルチアーノに敬意を表する機会になるので。その場が東京だというのもうれしいです」
と語る。というのも、「三大テノール」とドミンゴにとっても、きわめて特別なものだったからである。ドミンゴがローマの晩を振り返る。
「3人が集まらなければ起きない化学反応が起き、それに聴衆が心を打たれたようで、だから私たちはその後、3人のコンサートを世界中で行ったのです。その結果、それまでオペラを知らなかった多くの人が私たちのコンサートを訪れてくれ、オペラ劇場に通うようになりました。なんとすばらしいことでしょう」
そして、今回のコンサートについては、
「ルチアーノを愛情と称賛をもって偲びながら、ホセとアルメニア人のすばらしいソプラノ、ニーナ・ミナシャンとともに、すばらしい音楽の夕べをすごすのを、私はとても楽しみに待っています。そのことを日本のみなさんに伝えたい」
ちなみに、ドミンゴはすでに80歳を過ぎているが、いまなお世界の主要なオペラハウスで主役を歌いつづけ、オペラ界の奇跡と認識されている。もちろん、若いときの声と同じではないが、呆れるほど衰えが少なく、年輪を重ねたぶん歌心が深まって比類ない。
そして、カレーラスもいまなお、大劇場でマイクを使わずにリサイタルを重ね、情熱的な歌を聴かせている。リリック・ソプラノとしていま、世界を席巻しようとしているミナシャンも加わり、1月26日は、まだ冷めぬワールドカップの余韻も相まって、最高に熱い夜が約束されている。
(音楽評論家・香原斗志)
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